・特性が似た友人・異なる友人
前回、自分と感覚が似てる仲間についてブログで書いた⬇︎が、今日は異なる感覚と特長をもつ友人についてのお話!
えっさんは、周りから社交的に見られがちので「友だちも男女ともに多そうだね〜」と言われることが多いのだが、現実は全くそんなことはなく定期的に連絡を取り合う友人というのは、本当にごくごく限られている。
そのため、家で息子のために童謡をかけていて「友だち100人できるかな〜100人で食べたいな〜富士山の上でおにぎりを〜」なんて歌詞が流れると「いやいやいや。友人は数じゃないし、100人もの友人なんていらんし。しかも、なんで富士山!?」と思わずいつもツッコミを入れてしまう( ;∀;)
そんなわけで(?)えっさんにとって友人は大変貴重で大切な存在だ。
そんな大切な友人の一人が、小学校6年生の2学期に引越しをして転校先の小学校時代からの友人なのだが、えっさんとタイプがかなり異なるのだ。
どんな風に異なるかと言うと・・・えっさんは前回のブログでも書いた通り、考えるより先に行動するタイプで、とりあえずやってみてないと分からないと思いがち。しかし、友人は何事もとても慎重で、まず先に選択肢を1つ1つ吟味して考えることを大事にする。えっさんは変化する環境を好むが、友人は慣れ親しんだ環境を好む。えっさんは仕事を企画したり設計したりすることが向いているが、友人は今あるルールや秩序に沿って正確に運用することが向いている。
一緒に旅行に行った時も、えっさんは旅先ではお金も食事や観光にパーっと使おうぜ!というタイプで浪費家だが、友人は旅先だからといって普段と異なるお金の使い方はしない!というタイプで倹約家なのだ。
えっさんと感覚の近い友人と一緒に旅行するのとはまた一味違う旅行になるのだが、その友人のペースで旅行することで普段はしないはじめての経験だったり、旅先の過ごし方となったりすることも新鮮で面白いな〜と思う!!
・昔からの友人たちとの不思議なご縁
えっさんには、前述の友人もあわせて中学のときから仲が良い友人が2人いる。
むしろ、2人の他に今もつながりがある人がいないわけだが、2人とも同じ学年となる子どもがいるという奇跡的なご縁がある。
しかも、前述の特性が異なる友人の子どもの名前は漢字こそ異なるが、偶然にも同じ名前なのだ!!
同じ名前の子どもがいる友人とは中学生のとき、同じくらいの学業成績でお互いに推薦で公立高校に進学をしたのだが、えっさんは共学で友人は女子校だった。そして高校卒業後は、学部は違うが同じ大学に進学をした。
卒業後の進路は、えっさんは割とベンチャー感ある企業に新卒で就職をして転職も転勤も経験しているが、友人は試験勉強を真面目にやって地元からそんなに離れていない区役所の公務員となって同じ場所に新卒からずっと勤務している。
そして結婚したタイミングはえっさんが7年早いが、第一子の出産は同じ年で名前が同じ男の子。
基本的には全く異なる人生の歩みなのだが、大学だったり子どもだったり人生の節目で重なり合う不思議なご縁。
先ほど一緒に旅行をした話を綴ったが、友人とは日本の中でもパワースポットとして有名な神社に祈祷や厄払いを目的として旅をしたことも影響しているのかな〜などとふと思ったりする。
友人が誘ってくれなかったら、えっさんは祈祷を目的とした旅を思いつくことがなかったので不思議なご縁を手繰り寄せてくれたことに感謝だ。
同じ年齢の子どもがいることで、それまで全く異なる環境にいた友人と同級生の男の子が家族にいるという共通の環境が生まれた。友人の旦那さんともお話をしたのだが、えっさんの夫と似た特性の旦那さんで、ずっと野球をやっていたなど共通点を多いので、夫婦間での子育ての考え方についても共感が生まれやすい。また、友人とは子育てに対する感覚は異なるので、えっさんは友人の話を聞いて自分の子育てについての視野や思考が広がっていくのを感じる。
また、息子同士が遊ぶ機会もでき、こうしてご縁をつないでくれるという巡り合わせってあるんだな〜と感慨深くなった。
子どもが社会人になっても、またお互いにおばあちゃんと呼ばれる年齢になっても、どこかで再び環境が重なり合うようなことがあったら素敵なご縁だな〜なんて思う!!
・互いの特性の違いを尊重する
結婚においても、似た者夫婦かお互いの特性を補完し合う夫婦かに分かれるように、友人関係も、似た特性をもつ友人と特性は異なるがそれがいいバランスになっている友人と分かれるような気がする!
どちらかというと大人になってから出来る友人の方が同じ仕事だったり、趣味や興味だったりで自分と似ている要素がある人が多い。どうしても社会人になってからのほうが自主的に選択をした活動範囲の中で知り合うので、それはそれで自然な流れだと思うのだ。
一方で、子どもの頃からの友人(特に公立の小学校・中学校・高校で知り合った友人)というのは、住んでいる場所が近いという共通点以外には自分と重なる要素が少ない友人たちとの出会いの場でもあると思うのだ。
さして、小学校〜高校にかけてキラキラした記憶や青春があったわけでもなく、学校自体も自分に合った学校とは言えなかったえっさんだが、それでも通って良かったと思えるのは、こうした友人たちとの出会いがあったからに他ならない。
もしタイムマシーンに乗ってどんな学校でも選び直せるよと言われても、今いる友人たちに出会えないのであれば戻る必要はないな〜と思えるわけだ!!
時には意見や考えの違いを感じることがあっても、それはそれで互いの刺激になっていると感じる!!!
いずれにしても、もうえっさんは子どもの頃に戻ることは出来ないわけだが、もし子どもに保育園・幼稚園・学生時代の友人との関係について伝えることが出来るのであれば、こんなことを伝えてあげたい。
「特性の違いを尊重して、お互いのいいところを認め合える関係を築けたらきっと生涯の友だちができるよ」と!!
自分とは異なる特性をもつ友人の存在は、いつも自分にはない視点を与えてくれる。そして、自分自身の視界を広げてくれる存在でもある。我々は周りに同じ感覚の人が多いと、その感覚があたかも多数派のように考えがちだ。しかし、異なる感覚の友人と接することでその偏った世界のバランスを調整し、バランス感覚を鍛えることができるのではないだろうか。子どもにも、自分とは異なるタイプの友人との出会いと関係構築の素晴らしさを伝えてあげたいものだな。