記事内にPRを含みます。

学校から与えられる夏休みの宿題は、子どもにとって必要なのか!?本当に必要な宿題はこれ!

・夏休みの宿題のやらされ感よ!

えっさんは小学生の頃、夏休みの宿題を最後まで残してしまう子どもだった。
計画的にやることが苦手というよりは、宿題をやる意味をきちんと理解できなかったのだと思う。
なので、始業式前日にえいや〜で親に泣き言を言いながらいつもやっていた。

先日、日本人の小学生の親1300名に聞いた必要だと思う宿題の第1位が「ドリル」という記事を読んで衝撃を受けたのだ。
えっさんにとっては、宿題における「ドリル」こそやっつけ感があったからだ。
勉強が出来ないわけではなかったので、ドリル自体はやろうと思えば1冊を即日終わらせることができた。しかし、自分が簡単に解ける問題も1問も飛ばすことなく、1冊のドリルの答えを全て埋めて、完成させる作業に一体どんな学びがあるのか、よく分からなかったし今もよく分かっていない。なので、最後まで残ってしまう。
結局、学校から「やれ」と言われたので「仕方なくやる」という義務感からやっていたので、宿題を終わらせること自体が目的になってしまっていたのだと思う。

夏休みは、普段できない体験をできる最高の機会だ。虫取りをし、ザリガニを捕まえ、トンボの目を回し、自分で生きた餌をつけ、その餌で釣った魚を食べる。ドリルで分かっている問題をだるいわ〜と思いながら解くよりも、学ぶべきことがえっさんにはたくさんあったのだ。

そもそも世界的に見ても、宿題がない国は多い。
なぜなら、夏休みは様々な経験をする貴重な時間という考えが浸透してきているからだ。そのため、特に欧米ではサマーキャンプにお仕事体験、新しいことを発見し、挑戦をする。こういう長期間の休みがあるからこそできる経験が夏休みの定番の過ごし方となっている。アジア圏内であればシンガポールもかつては宿題があったのだが、詰め込み型の学習からの脱却を国としての課題と捉え、宿題をなくす方針に舵を切ったのだ。
未だに詰め込み型の学習スタイルから脱却できない日本の宿題スタイルは今後どうなるのだろうか!?

・宿題を自分で考えてみる!

そもそも人は他者から「やれ」と強制されたことに対してモチベーションを維持することが難しいようにできているのだ。
夏休みの宿題を出すのであれば、子どものやる気を大切にし、学びの時間を充足させる宿題を出すことに賛成の人は多い!

そうなのであれば「これを夏休みにやります!」と子ども自ら決めて宿題をするやり方に変えてみるというのはどうだろうか。
そして、自ら決めた宿題については長期間をかけて考え、調べ、行動し振り返るというサイクルにじっくりと向き合い時間を過ごしたほうが、よっぽど大きな学びになると思うのだ。

仮に選択肢を考えることが難しいようであれば、こんな選択肢を提示してみてもいいかもしれない!

・今までやったことがないことを時間をかけてやってみる!
・デジタルから一切離れる。そして、丸10日間をひたすら経験したいことをして過ごす!(読書推奨)
・自然の中で夢中になれる遊びを見つけて、実際にやってみる!
・大切な人に普段は伝えることができずにいたことを伝えてみる!

とにかく、子どもの自由な発想で自分で考えたことをやってみることだ。
そして親は子どもに「失敗してもいいんだよ。心から楽しむことを何よりも大事にしよう」と伝えて見守る。
そうした中で、今まで与えられた宿題をやってきた子どもと自ら設定した宿題をやる子どもの変化を観察してみる。こんな試みの中で、本当に必要な宿題とはどういうものなのかが見えてくるかもしれないな〜。

・宿題のプロセスと成果を発表する!

自ら設定した宿題については、そのプロセスも含めて何かしらアウトプットをする場があるほうがいいだろう。
他の子どもがどんなことを経験をし、どんなことを学んだのか。
実際に経験したことの大きさや面白さではなく、その学びや気づきの深さにフォーカスをあててみるのだ。

仮に夏休みに飛行機で「世界一周をしました」という子どもと、図書館で「世界史の●●シリーズを読破しました」という子どもがいたとする。
そして、世界一周をした子どもの学びが「世界は広いということをこの目で見て圧倒されました」という結論だとして、図書館で本をかりて丁寧に調べながら読んだ子どもの学びが「人類は本質的なところでは同じことを繰り返していることを学びました。例えば、感染症の歴史を紐解いてみるとペスト被害の後に、他の要素と複合的な要因も重なり、ルネサンスという創造性の時代が訪れたことに気づきました。そのため、今回のコロナ収束後には〜」という学びを発表をしたとする。

この場合に、どちらの学びが深いかということは分かりやすい。けれど、単純に学びが深いほうが素晴らしいと結論付けるのも、また違うのだ。
子ども同士で競争をさせようということではなく、その2人が今度は一緒に「自分たちから見た世界」という内容でテーマを決めて一緒に発表をしてみる。
自分たちが学び、経験したいことをお互いにシェアをし、今度はチームでお互いが学んだことをさらに深めていく。

今を生きる子どもにとって、こういう経験の共有とコラボレーションが出来ることが、自分の夏休みのプロセスと学びをシェアする最大の醍醐味と言えるのではないだろうか。

今日の子どもが豊かに生きるヒント!

学校から与えられる夏休みの宿題は子どもたちが豊かに生きる上で本当に必要なのだろうか。もし宿題を出すのであれば、それは自ら選択し、そのプロセスと結果に自主性が尊重されるやり方を採用するべきだろう。自らが夏休みを通じてトライして学び気づいたことをその深さにフォーカスして発表する。発表を聞いた子どもたちも自らの学びを深めると同時に、今度は一緒にチームで学びを更に深めていく。こうした宿題のあり方のほうが子どもが豊かに学べると思うのだが、いかがだろうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA