・【理由①】ファンタジーから発想力を磨ける!
今回のブログでは、えっさんの実に個人的な経験と見解をもとに、天然のプラネタリウム(満天の星空を眺めること)を子ども体験して欲しい理由を3つほど書いてみた。
この内容でブログを書こうと思ったのは、先日プラネタリウムのDVDを家で観ていて、星空を眺めること自体にネガティブな感情を抱く人を聞かないと思ったからだ。
星空鑑賞は、癒しだったり、感動だったりを老若男女全ての人にもたらしてくれる体験の1つなのではないだろうか。
良かったらあなたの星空体験についても、本ブログ下でコメントしてくれたらとっても嬉しい!
さて、えっさんはロマンチストだと自分でも自覚しているのだが、その自覚の1つとして昔から星空を観て空想をするのが大好きなのだ。
しかし、都内だと青ヶ島をはじめとした島か、奥多摩の方に行かないとなかなか素敵な夜空を観ることが出来ないので、そんなに簡単に足を運ぶことができない。
その代わりにコニカミノルタの池袋にある「満天」、押上にある「天空」、有楽町にある「プラネタリアTOKYO」には近くに行くとフラッと足を運んでいた。
最近はなかなか行けなかったが先日、髪を切りに行ったついでに一人で寄って、旅行をしている気分で世界各地の星空を巡る作品を鑑賞してきた⬇︎
えっさんが牧草地に囲まれた街灯もない小さな街に住んでいた時、住んでいたのは2階建のレンガ造りで、1階には木で薪を焚べる暖炉がある西ヨーロッパの昔ながらの家だった。2階にあるえっさんの部屋の天井にはなぜか全体の面積の3分の1ほどある大きな天窓があった。
天窓にはカーテンがなく、えっさんが夜ベッドに横になると天窓から満天の星空が見えたのだ。
今考えるとまさに天然のプラネタリウムだった。
プラネタリウムと違うのは、月が部屋の中を照らす日は、眩しくて眠ることができなかったり、雨の日は雨音がとても気にかかったりすることだ。子どもの眠る環境としては朝も朝日が眩しく、ベッドの位置の問題なのか快適とは言いづらい寝室だった。笑。
しかし、星空を眺めるときは別だった。
星を見上げながら眠るとき、悠久の昔、先人たちが星空を眺めながら多くの神話と物語を紡いできた遠い過去に想いを馳せていた。
また、遠くにある1つ1つの星にどんなドラマがあるのか、そんなことを想像しながら眠りにつく時は夢の中でも星の物語の続きがありありと語られるのだった。
星は雲よりもはるか遠くにあり、そして暗闇の恐怖から自分を助け、勇気付けてくれた。
そんな星々に想いを巡らせ、子ども心に想像力を駆使してファンタジーの世界を創り上げていくことがとても楽しかったのだ。
そんなことも忘れかけていた小学校4年生の時に、アニメ「銀河鉄道の夜」を古びた市民会館の中にある大きなスクリーンで鑑賞する機会があった。
自分が天窓から星空を眺め想像していたことの断片が物語の中に散りばめられていて、当時の記憶が一気によみがえり鈍器で殴られるくらいの衝撃を受けたのだ。
そんな目眩がするような経験は、後にも先にもその時だけだった。
それほどまでに、小さい頃のファンタジーというのは、自分の内側の深いところを支えてくれるものなのだと気づいた。そして、幼少期のファンタジーを生み出す力は、大人になってからは発想力として生きていると感じることが多々あった。
今も「銀河鉄道の夜」のディスクは家にあるのだが、天然のプラネタリウムを観ることがなかなか出来ない時には、家の中を暗くして鑑賞することで、自分の中で築いてきたファンタジーを思い起こし、日々の発想力を磨くようにしている。
・【理由②】物理に興味をもつきっかけに!
えっさんは、学生時代に学んだ教科の中で一番、物理に拒否反応があった。
身近な学問としてその教科を日常に結びつけることができないと学問への興味はたちまちなくなり、その授業の時間が苦痛になることがえっさんにはよくあった。
小学校4年生のときだったか、理科の先生がとにかく実験好きだった。しかし、どんな目的でその実験をして一体何が分かるのかということを省き、基礎的な実験はつまらないという理由で応用実験を好む先生だった。
例えば、電気の流れを勉強するのに、基礎的な接続は簡単に出来てしまうと割愛し、電極の複雑な接続を指示された。豆電球を点灯させるゴールに向かって4〜5人の班毎に競争させるものだから、理屈よりもその実験をとりあえずやり切ることに神経を費やさなくてはならず、非常に苦痛だったのだ。
物理学は、自然現象について簡潔かつ普遍的な見方を見い出す学問だと教わったが、えっさんの頭には「??」がいっぱい浮かんでいた。
実際に授業で教わることからは、その現象に対してどのように普遍的な見方をしたらいいのかさっぱり分からなかったからだ。
しかし、学生時代に辛うじて物理への興味をつないでくれたのが、「天体物理学」の領域だった。
天文学及び宇宙物理学の一分野で、恒星・銀河・星間物質などの天体の物理的性質(光度・密度・温度・化学組成など)や天体間の相互作用などを研究対象とし、それらを物理学的手法を用いて研究する学問である。宇宙物理学とも。天文学の中でも19世紀以降に始まった比較的新しい分野で、天文学の近代部門の代表的な分野と目されている。
Wikipedia
「りんごが地面に落ちるのは何故なのか」ということに対しては疑問を持つことがなかったえっさんも、人が星の位置を道しるべに砂漠を旅した風景を頭に思い浮かべながら、星はどのように出来ているんだろう。流れ星はどのくらいの速度で流れているのだろう。宇宙はどのように進化してきたのだろう。ということには疑問が湧いてきたのだ。
そうした疑問を起点に物理学を通じて、法則を見出そうとすることに対しては何ら抵抗感がなかったのだ!
それまで全く勉強に身が入らなかったえっさんも天体物理学を通じて、物理に対して拒否反応が出なくなった。
もし、息子がえっさんと同じように物理ってどんなことを知れる学問か分からないし興味ない!と言ったら、例として星空を眺めながら、宇宙の不思議について話をしてあげたいと思うのだ。
・【理由③】心のバランスを整えられる!
嬉しいとき、悲しいとき、楽しいとき、イライラしているとき、どんな感情の時も星空はそれをただただ静かに受け止めてくれる。
美しい星空を眺めることは、この広大な宇宙で星たちが長い年月をかけて繰り広げてきたドラマに比べれば「自分の悩みはなんて、小さいんだろう」とシンプルに思える、有効な手段だ。
えっさんは、20代前半のときに友人4人と星空を観るためだけに長野県の阿智村に行ったことがある。
友人全員がそれぞれに悩みや葛藤を抱えていたのだ。
そのときは、えっさんなりに真剣に悩んでいたこともあったのだが、澄んだ空気を吸い込みながら少し肌寒い夜に星空を夢中に観ていると何を悩んでいたんだっけ?と帰り道にはすっかりフラットな気持ちになった。友人3人が星空を眺めたことで悩みを和らげることが出来たのかは分からないが、全員が「なんか晴れ晴れしたね〜」と話をしていたことを思い出す。
もし子どもが誰にも話したくない悩みを抱えているようだったら、ただ天然のプラネタリウムを観るためだけに一緒に出掛けてみるというのはどうだろうか。
そんな時は、自らが話しかけることはせず、一緒に隣りにいるだけでも良いのだ。そして、子どもが何か話がしたくなったらとことん聞き役として徹底的に寄り添う。
自分自身も星空と同じようにひたすら受け止める存在として、そこにいるだけでいいのかもしれない。
子どもに何かに興味をもつことを強制することはできない。けれど、興味を持つきっかけになるかもしれない体験を一緒に楽しむことはできる。
天然のプラネタリウム体験は、子どもの心に豊かなファンタジーと、宇宙の不思議への興味と、そして、深い受容を生んでくれる体験だとえっさんは考えるのだが、あなたはどのような体験だと考えるだろうか。