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蟻の味わいを語る24歳。東京の蟻は苦く、長野の蟻は甘い。

・社会人になっても蟻を食べ続ける同僚

えっさんが以前、立ち上げ〜クローズまで一連の仕事がチーム5人で完結するプロジェクトに属していた時のこと。そのチームメンバーに24歳、社会人2年目の新卒入社の女性社員がいた。
彼女はチーム全員の中で最年少だったがずば抜けて頭が良いと感じていた。
「この人には自分が得意とする仕事の能力と比較しても、全くかなわないわ〜」と思う人はこれまでもたくさんいたのだが、その若い同僚にはえっさんが「いくら努力しても努力では、どうにもならんわ〜」と思うほど仕事に必要な基礎的な能力が突出していた

頭の良さにも色々な種類があると思うのだが、その同僚の頭が良いと感じるところは次の2点だ。
まず、複雑な話題を誰にでも分かる例を用いて相手に確実に伝わる言葉をチョイスして展開していくことがどんな状況でも可能なこと。
そして、少し会話をしただけでクライアントの求めることを的確に言い当て、自分の意図した方向性に自然な形でクライアントを説得(相手は説得されたとは感じない形で)し、成果を上げられること。
彼女はあらゆるビジネスの可能性を想定し、その時にベストな選択肢を相手の力量や上限予算に応じて提示することができ、そのタイミングも完璧だった。

普段の彼女は必要なこと以外は何も語らず寡黙だったが、こちらが質問したことには仕事と同様に丁寧に分かりやすく答えてくれた。そして、いつもシンプルで清潔感のある服を着ており、同年代よりは落ち着きを感じる小柄で品のある女性といった印象だ。

彼女(仮に野原さんと呼ぼう)のずば抜けた能力はどのような環境で培われたのか疑問に思ったので、聞いてみた。

えっさん
えっさん

野原さんは、ずっと都内なんでしたっけ?

野原さん
野原さん

いえ、高校までは長野で大学からこっちですね。高校までは県内でも結構な田舎に住んでいて、大家族でした。ずっと自然の中を駆けずり回るような生活をしていましたよ。家でじっとしていることもほとんどないような、結構な野生児で。
野生児だからかは分からないですが、家にいるときは未だに全裸が落ち着くんですよ。笑。
彼にはよく部屋では服を着て欲しいと注意されますが。

えっさん
えっさん

おお〜そうなんですか!意外ですね。雰囲気から勝手にずっと都内なのかなって思っていました。それに野原さんは言語化能力が並外れているんで、どちらかというとインドア派で読書とかお好きなのかとも思っていました。しかも、野原さんの全く新しい一面も教えていただき。笑。
こっちに来て、これまで住まわれていた環境との違いで野原さんにとって一番大きかったことはどんなことなんですか?

野原さん
野原さん

う〜ん、たいていの違いでは驚かない方だと思っているんですが、蟻の味って場所によってこんなに違うんだってことには結構、驚きましたね。社会人になってから都内に住むようになって、三茶で木を登っている蟻を食べたとき、あまりに苦いのでここは私がいる環境ではないと強く感じました。それは丸1年以上経った今もそう感じています。

えっさんは、思わず聞き返してしまった。「蟻を食べる??」
彼女はそれに対して、こう続けた。

野原さん
野原さん

はい、昆虫の蟻です。蟻って割と好きなんですけど、実家の蟻は甘かったのになぁ。

と味を思い出しながら本当に残念そうに話をする野原さんに、えっさんは蟻を食べることが普通のことのような感覚になり、蟻を食べない自分がおかしいのかもしれないとすら思えてきた。
しかし、蟻が甘いとは・・・えっさんは小学校低学年の頃だったか何も考えずに蟻を口に入れてあまりの不味さにパニックになったことがある。「ゲぇ〜、ゲぇ〜、」と苦労して口から出して、何度も口を拭い、うがいをたくさんしたことを鮮明に覚えているほどだ。

そして、野原さんは読書量が多く、雰囲気からインドア派なのかなと想像していたら「むしろ、読書はそんなに好きではない」とのことで、その話を聞き終わる頃にはえっさんの野原さんへの関心はより一層、高まっていた。

・ケニアが私の本当の故郷だった

野原さんは、仕事では常に高い成果を出すのだが、業務それ自体をあまり面白そうにやっているわけではなかった。一緒のチームになってから半年もしないうちに体調が悪そうにしていたので、えっさんはどうしたのか聞いてみた。

えっさん
えっさん

なんだか最近、野原さんの体調があまり優れないのかなという感じがしていて。私の思い過ごしだったら申し訳ないんですけど、ちょっと心配で。

野原さん
野原さん

あ、ご心配おかけしてすみません。体調というよりは、自分の居場所はここではないという違和感がだんだんと自分の中で無視できなくなってきていて、眠れない日が続いていて。今、生活をしている環境がすごく窮屈なので、そろそろ故郷に帰ろうかなと思っているんです。

えっさん
えっさん

野原さん、眠れていないんですか。うーん、居場所ではないという感じが自分の中で大きくなっているんですね。いやぁ、それはしんどいですよね。故郷というと長野に?

野原さん
野原さん

いえ、ケニアですね。学生時代にケニアにある日系企業でインターン募集があって、募集内容が面白そうだったので応募してケニアにしばらく滞在していました。それまでは、ケニアに興味を持ったことも一度もなかったのですが。むしろ、学生時代の旅先にはヨーロッパを選んでいたくらいで。
ケニアについては、映像とかで観たことはあったかもしれないんですけど、何か印象として残っているわけではなかったんです。でも、ケニアに着いてから「私、この場所知っている。以前に住んでいた故郷だ」という感覚が全身をかけ巡って。
今は賃貸に出しているんですけど、いつでも帰れるように自分の家もあるので帰りたいな〜ってここのところずっと思っていて。

よく「奇跡体験!アンビリーバボ」か何かのTV番組で自分の前世の記憶が全く知らない場所で蘇る的な話を観ては、そんなことがあったら面白いのにと思っていたが、今のところえっさんがそんな風に感じたことは瞬間的にもない。
野原さんの場合は、前世とは違うのかもしれないが「ここが私の場所」だと全身で感じるというのはどんな感覚なのだろう。

野原さんの家がすでにケニアにあるというのも驚いたが、それ以上に驚いたのが実際に履歴も見せてもらったのだが、大家として電子マネーで日本円にして2〜3千円/月の賃料収入を得ていることだった。笑。
ケニアの特殊な不動産事情もあって賃貸契約を結ぶことにしたようなのだが、とてもしっかり者の野原さんなのだ。

そして、野原さんはこの話をしてくれた3ヶ月後には、有言実行で故郷のケニアに帰って行った。

・故郷に帰り、生き生きと働く彼女

野原さんは能力がとても高く常に結果も出していたので、当時でも社会人2年目にして高い報酬を得ていたが、仕事中はなんだかあまり楽しそうではなかった。
しかし、ケニアに帰ると決めてからの野原さんは顔色も良くなり、とても生き生きしているようにえっさんには見えた。本人曰く、よく眠れるようになったようだ。

高校までは自然の中ですくすく育った野原さん。
特別な習い事や教育を幼少期に受けていなくても、どこにでも通用するような高い能力を備えていた。
けれど、都内の環境にずっと違和感を覚え、ここは自分の場所ではないと早々に気づいてしまったのだ。

ケニアでの就職先も学生時代のインターン先のつながりで見つけたようで、ケニアの中でも自分がよく知る場所で働けることになったようだ。
「報酬はだいぶ落ちるんですけどね」と言っていたが、他にも当時よりも高額な報酬を出してくれるケニア以外の海外での就職先もあったようだが、野原さんは迷わずにケニアを選んだようだった。

えっさんは今も野原さんのことが羨ましいと思うことがある。
それは、確信をもって自分の場所を見つけ出し、実際にその場所に活動の拠点を移せる勇気があることだ。

今日の子どもが豊かに生きるヒント!

例え子どもがどこにでも通用するような高い能力をもっていて、高い報酬を得られるポテンシャルがあったとしても、本人と「土が合わない」環境では長期的に生き生きと活躍することは難しいのかもしれない。むしろ、健康を害してしまうこともある。「土が合うか否か」の判断は本人以外の誰もできないので、親世代のできることとしては「子どもの能力が発揮されている」+「土が合っているのか」という視点でも気にかけてあげることにしよう。健康を害するような場所でずっと暮らし、働いて欲しくはないからね!

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