・第一章:ギリシャでのフローズンダイキリ
つい先日、仲良しの仕事仲間だった友人と同僚の旦那さんと一緒に3人でコーヒーがとても美味しいカフェに行って、これからのライフ&キャリアの話をとめどなくしていた。このとき、旦那さんが転職を成功させて、次の会社に9月から入社するタイミングだったのだ。彼は旧帝大の大学院を出て大企業に研究職として約3年勤務をし、ずっとやりたかったことが実現できる将来有望なベンチャー企業の研修職として自身の夢に挑戦するという希望に満ちた話をしてくれて、えっさんはその話にとても元気をもらった!!友人も今年に入って大手メーカーから働き方や労働時間に無理がない中堅のIT企業に転職したので、キャリアについては2人とも新しい環境で頑張っていく土壌ができた段階だった。
そして、ライフについて今は夫婦二人の時間を楽しんでいるものの「娯楽費はほとんどかかっておらず、これからもう少しバリエーションを充実させてもいいかな〜」という話をしてくれた。そんな2人の時間が、これからも繰り返し思い出されるような更に充実した時間になるように、えっさんは大人の2人だからこそ楽しめる食事と飲み物の話をさせてもらったのだ。
「素材そのものの味をイノベーティブな一皿で提供してくれる上質なレストランや、果物や野菜といった素材を丸ごと感じられるカクテルを出してくれる夜景も素敵なバーに月1回、一緒にデートで行ってみるのも楽しいかもしれない♫」と。
そんな話をしたものだから、えっさんは自分が繰り返し思い出す友人との夜景が綺麗な旅行先で飲んだ美味しかったカクテルを思い出し、いつか子どもにも伝えたいショートストーリーとしてブログに残してみようと思ったのだ。
1つ目の物語は、今は地方に住む4人の子どものママである親友と学生時代に航空券とホテルのバウチャーだけ事前に取得して旅したギリシャで飲んだカクテルの話。
アテネにあるパルテノン神殿を眺められる場所⬇︎で、20世紀の人々のライフスタイルに多大な影響を与えた文豪ヘミングウェイが愛したとされるフローズンカクテルをゆっくり味わって飲んだときの物語だ。
アテネまでの直行便はなく飛行機の乗り継ぎの待ち時間も長く、とても疲れた状態で夜遅くにアテネの空港に飛行機は着いた。空港からは、バスに乗ってアテネの中心部まで移動をして、そこからタクシーでホテルというルートでホテルに着いたのは夜中だった。
当時、バスの中はギリシャ語でしか案内がなく、みんな自分たちが降りたい場所の近くになると降車ボタンを押してそのまま降りていくので、自分たちが目指す停留所をどう知らせていいのか不安に駆られた。また、自分達の英語も拙いが現地の人は英語を話さない人も多く、片言の英語自体もよく聞き取れずにいた。
そんな中、ギリシャ文字を確認しながら何とか目的の場所で降りてホテルを探そうと思ったが、かなり夜も遅いので女性2人で大荷物を持って歩くには心もとなかった。そこで歩ける距離でもタクシーを拾ったのだが、このタクシーのおじちゃんがタクシー代をふっかけてきたのだ。一度は強く抗議をしたものの、相手も威圧的な態度で一歩も退かなかったのだ。ここまでで相当疲れており揉めたり、何かアクシデントに巻き込まれたくもないのでしぶしぶ料金を支払いホテルへ。そして、このホテルの人も夜中にチェックインする若いアジア人に、とても無愛想だった。
さらに、ベッドも寝心地はいまいちで寝不足のままお世辞にも美味しいとは言えないパサパサのパンの朝食を食べ、市内を散策してもギリシャの交通事情にもやられた。アテネの人たちは、短すぎる時間で青から赤になる信号を気にせずに車が走る中で道路を自在に横断していたが、えっさんは要領が掴めずに道路をうまく横断できないこともあった。さらに長距離バスでギリシャを移動したときは、バス乗り場が地図とは異なっていて目的地に行くバスを探すのにも一苦労した。ようやく乗り込んだバスでは降車場所を間違え、仕方ないので終点まで行ってそこで観光するというハプニングも。
そうこうして、かなり現地での移動や人とのやりとりに参ってしまった中で我々を癒してくれたのが古代の人々が築いた巨大な神殿だった。
夕日のスポットとして有名なスニオン岬に向かう海岸沿いを走るバスの中ではギリシャ民謡が流れ、悠久の昔に思いを馳せる時間は「このまま時間が止まって欲しい」と思うほどに心地良い時間だった。スニオン岬に着くとカップルたちがエーゲ海に沈む夕日を目の前に肩を寄せ合う中、我々はロマンチックな雰囲気に一切染まらずに、笑、ポセイドンの神殿の荘厳さにもため息を漏らした。神殿が静かに佇む中で、夕日を眺めながら友人と2人で観た景色は本当に息を呑むほどに美しかったのだ。
けれど、そんな夕日の景観よりもさらにえっさんの記憶に強く刻まれたのが、アテネにあるパルテノン神殿の夜の姿だった。神殿の輪郭が暗闇に浮かぶ瞬間を見ようと、タクシーには乗らずに夕方から歩いて移動をした。途中で道がわからなくなり、これまで出会ってから意見の食い違いなどなかった親友ともはじめて意見がぶつかるくらいに歩き疲れていたのだ。
記憶に鮮明に残るそのバーは砂利道が敷かれた坂の中腹にあって、坂の途中でとても喉がかわいていたときに出会ったレストランバーだ。
そのときの服装も靴もいかにも安っぽいものだったのだが、おしゃれな大人たちが集っていたバーから見えるパルテノン神殿の夜景に吸い寄せられるように店内へ入ったのだ。
お店の方はいかにも場違いな雰囲気の疲れ切った様子の我々にもとても親切で、歩き方も服装も何もかもが優雅な立ち振る舞いだった。そうして、好意的な優しい笑みを浮かべて夜景が綺麗な窓際の席まで案内してくれたのだ。このとき、これまでのギリシャの人たちの印象がガラっと変わった。
そして、お店のメニューの中にフローズンダイキリがなかったにもかかわらず、注文をお願いしてみるとバーテンダーの人が快く作ってくれた忘れられないカクテルの一つ。値段も正確には忘れてしまったのだが、高かった印象はない。むしろ現地の食が合わずに止むを得ず入った日本料理店で食べた3,000円の親子丼に比べたら安いくらいだった。笑。
そして大きなシャンパングラスいっぱいに入ったカクテルの前には、高層ビル群ではない自然物でできたはるか昔の建築物の偉大な神殿の姿がライトアップされており、えっさんは「この景色は絶対に忘れない」とそのとき親友に話したことを今でも覚えている。そして、その景色を眺めながらゆっくりと味わって飲んだ、冷たいフローズンカクテルのちょうど良い甘さとさっぱりとしたラムの味が今でも忘れられない。日本に帰ってから今まで、このとき飲んだフローズンダイキリを超える味には出会えていない。こうした瞬間を味わえるなら、これまでの道中の苦労なんて些細なことだと思わせてくれた一杯だった。
・第二章:デンマークでのメキシコーラ
続いての物語は北欧デンマークから。このときは、大学時代の英語のクラスが一緒だった友人と一緒だった。友人は、それまで海外旅行をしたことがなく国内含めても飛行機に乗ることがはじめてとのことだった。
デンマークにあるコペンハーゲン国際空港までは東京から12時間近く直行便でもかかる。フライト時間は長いのだが、友人は飛行機が「落ちるのではないか」という恐怖心から極度に緊張をしていて、機内で震えていた。
特に離陸時は顔が青ざめてしまっていた。そんな友人の様子を心配しながら手をしっかりと握り、「大丈夫だよ」と語りかけながら緊張の長時間フライトを経てなんとか無事に辿り着いた思い出の地。
えっさんもこの時が北欧に足を踏み入れるのがはじめてで、友人のためにも自分がしっかりとしなくてはと気を張っていた。
しかし、そんなえっさんの心配を余所に友人はこの旅をとても楽しみにしてくれていて、色々と行きたい場所ややりたいことを下調べしてくれていた。海外サイトを経由してホテルを予約をしてくれたりと準備を率先してやってくれた。そして、友人は飛行機から降りるとさっきまでの緊迫した様子が嘘のように、印刷した地図なんかを頼りに、ホテルまで率先して道案内をしてくれた。
北欧は言わずもがな物価が高いので、旅先での体験にお金をかけるためにもホテルはせめて節約しようと女性専用の6人部屋のドミトリーを予約していた。ドミトリーで案内された部屋には、ベトナム系アメリカ人のバックパッカーの女性とアメリカ人とカナダ人の大学生2人組の女性がいて、みんなが我々と同じ20代前半だった。
宿泊したコペンハーゲンの街は総じてカラフルな街並みが美しく⬇︎、清潔で、治安がよかった。女性だけの旅も安心して楽しめる街の一つではないだろうか。
そんなデンマークでは、「みにくいアヒルの子」や「人魚姫」の作家として有名な童話作家アンデルセン縁の地を巡ったり、カジュアルなデンマークの家庭料理のお店で食事をしたり、デンマークを代表するビール「カールスバーグ」の工場見学をしたり、港町を散策したりと日中はとてものんびりと過ごした。
少し中心地を離れてバスに乗って移動した先には、石畳の街や小さな教会と暖炉のあるおとぎばなしに出てきそうなお家を多く見かけた。自分がおとぎ話の主人公にでもなった気分で、知らない街を寄り道しながら歩くのは心から楽しい時間だった。
そんな平和な散歩が中心の旅で、今でも忘れらないシーンがある。ビール工場に行く途中の飾り気のない街角に古ぼけた小さな八百屋さんがあって、店頭にたくさんの青リンゴが売られていたのだ。そして10代半ばと思われる少年が、そのリンゴを1つ買ってそのままTシャツで軽く拭いて慣れた様子で丸齧りをしていた。えっさんにとっては、金髪のスタイルが良い青年が、リンゴをそのまま齧るなんて映画でした観たことがないシーンだった。
その瞬間、リンゴが美味しかったんだろうな〜ということが傍目からでも伝わるような愛らしい表情を浮かべ、その表情に目が文字通り釘付けになったのだ。笑。そして、颯爽と自転車に乗ってその場から去って行った。そんなシーンは、もしかすると現地では普通に見かける日常の1コマなのかもしれない。けれど、この何でもないワンシーンがなぜだか心に焼き付いて、青リンゴをみかける度に思い起こされる。
そんな平穏な日中から打って変わって、夜になると同じ部屋の子たちとその年代の女子らしいおしゃれや恋愛、旅の出来事などの女子トークで盛り上がった!こういう話題は、世界共通なんだな〜と妙に感心してしまった。
また、ドミトリーならではの出来事としてベトナム系アメリカ人とカナダ人の女性の相性があまり合わないようで、片付けや部屋での態度で言い争いになるのを我々日本チームがなだめることも多くあった。お互いがいないときに、それぞれから相手の悪口を聞いたりするのは、海外まで来てとても奇妙な感じがしたのだが、これも今振り返ると旅の良き思い出かもしれない。
そして、2段ベッドが並べられた部屋の中央には小さな丸いテーブルがあってそこにスーパーで買ったポテトチップスとカナダ人の子が買ってきてくれたテキーラの瓶とコーラのボトルだけが置かれていた。大してお酒が得意なわけではないのだが、みんながテキーラとコーラでメキシコーラを作って飲んでいたので、ついつい釣られて一緒に飲んだ。
カナダ人の学生は薬学部で、ブログでも書けないような薬の実験の話をしてくれたり、アメリカ人の子は自分のお臍から足の付け根にかけて彫ったと思われる龍のタトゥーを見せてくれた。そのときの盛り上がり方が、未だに忘れられない。いつの間にか記憶が飛んで朝、ベッドから目覚めると安いテキーラの飲み過ぎで酷い二日酔いになった。
その日が帰国日だったこともあって、身体を無理やり起こして「ぜぇぜぇ」言いながら空港になんとか着いた。笑。二日酔いに効く薬も持っておらず、そのまま飛行機に搭乗することに。お酒に強い友人は帰りの飛行機では冷静で、帰りはえっさんが飛行機の中でトイレから出られない迷惑な乗客として地獄を見ることになった忘られないお酒の思い出となった。
・第三章:香港でのシンガポールスリング
最後は、新卒の同期で親友と一緒に行った香港・マカオでの物語。
親友とは海外に一緒に旅行することが多く、この時は日本からの距離が近いこともあって9月のシルバーウィークに仕事の息抜きとして遊びに行ってきたのだ。交通手段も整っていて分かりやすく、香港の空港からホテルのある繁華街までは移動がとてもスムーズだった。香港での宿は、繁華街の中心にある安宿で各部屋で異なるアートが壁に描かれていた。夢にでも出てきそうな怖い顔だけが暗い色彩で描かれていたり、映画「E.T.」の有名なワンシーンが描かれていたりと今考えても摩訶不思議なデザインホテルだった。
ホテルに思ったよりも難なく到着することができて、飛行時間も5時間弱と疲れておらずこのときは元気も有り余っていた!そこで、そのホテルの人に教えてもらった地元で人気がある香港料理を食べに行って、二軒目には美味しいお酒が飲めると評判のバーが連なるエリアに飲みに行くことにした。二軒目では、隣りで飲んでいた人たちとも仲良くなって他愛もない話をしたり、香港でのお勧めスポットなど旅先の情報交換もして盛り上がった。日本語もあちらこちらから聞こえてきて、日本からの観光客も多い印象だった。
香港では街中の探索や展望スペースでの観光、夜のマーケットでの買い物、有名なペニンシュラ香港のアフターヌーンを堪能したり、バスに乗ってビーチリゾートで遊んだ後に昼間からお酒を楽しんだり、ヴィクトリア ハーバーで開催される光と音のショー「シンフォニー オブ ライツ」を観に行ったり、歩き疲れるとすぐにマッサージを受けに行ったりした。また、マカオまでは香港から船で行って、中心地を観光したりカジノを見学したり、本格的なエンターテインメントショーを観たりと時間を余すことなく楽しむことができた。今考えるとかなりタフに動き回っていたように思う。アフターヌーンティーとショー以外ではお金をかけて遊んでいないのに、最高に楽しかった旅の思い出の一つとして今も鮮明に記憶に残っている。
そんな香港・マカオ旅の2日目では、香港の夜景が一望できる⬇︎高層ビルの上層階にあるバーに行ってきた。
夜景が一望できるテラス席は順番待ちで、その席が空く間は反対側の蝋燭がテーブルの中央で揺れるソファー席に座ってシンガポールスリングを注文した。シンガポールスリングを注文したのは、ロングカクテルなので待ち時間にちょうど良いと思ったからだ。いつテラス席に座れるか分からなかったので長く一杯を楽しみながら、香港で生きるってどんな感じなのかを想像していた。
そして、いよいよテラス席のバーカウンターに通されるとき店内にはmaroon5のMoves Like Jaggerが流れていて、親友もえっさんもそのときたまたまmaroon5を旅の前に聴いていたこともあって、この曲を香港での自分達のテーマ曲として勝手に認定した。笑。
それから、この曲を聴く度に香港の夜景とシンガポールスリングと、テラス席での少し湿気のあった風の匂いを思い出す。
こうして考えると自分が心から満たされた気持ちになる思い出には、大切な人と一緒にその土地の食べ物や飲み物、そして印象的な景観を観ることが欠かせないのかもしれない。けれど、そのどの思い出にも航空券代以外は大してお金が必要ないことにも気づく。
若いときと今とでは感じ方が違うこともあるのかもしれないが、今一度自分がどんなときに心が満ちたりるのかを振り返り、子どもにも大人になる楽しみを伝えてあげられたらいいなと思うのだ!!
子どもが大きくなったときに、大人になったからこその充実した時間の過ごし方や楽しみ方についてどれだけのことを自分の物語として子どもに伝えることができるだろうか。子どもが小さいうちは一緒に行けないようなレストランやバーで、非日常的な景観とともに大切な人たちと一緒に過ごした時間は間違いなく自分の人生に彩りを添えてくれた。そしてこうした自分の記憶に焼き付いている時間について、子どもにもいつか笑い話や楽しかった記憶として共有できたら素敵だなと思う。楽しそうに語るイキイキとした自分の表情を見せることができたら、きっと大人になるって楽しいと子どもにも感じてもらえるのではないだろうか。