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一人一人異なる!あなたと子どもが「ちょうどよい」感覚を深く知る重要性について!

・自分が感じる「ちょどよい」という感覚!

ここのところお疲れモードなので緩いお話が中心になってしまい恐縮なのだが、今日は親とこれからの子どものライフを考える上で、心に触れた話をご紹介!!

先日、何気なく書籍「株式会社の世界史『病理』と『戦争』の500年」書評記事を読んでいて、その書評をしている方の話が手ざわり感あって、心に届く言葉で綴られていて思わずハッとしたのだ。まずはこちらの「ちょうどよい」という感覚について書かれた内容の一部【記事引用】をご覧いただきたい。

【記事引用】

「ちょうどよい」生活がしたいと思っています。

ぼくの言う「ちょうどよい」とは、誰もができるだけ我慢や嫌な思いをせずに、希望に沿った暮らしができる「ケアフルな状態」のことです。そんな理想的なことなんてあるわけがない。みんな我慢をして働いたり、嫌なことに耐えているからこそ、社会は回っているのだ。そんなふうに「大人たち」は言うかもしれません。

でもはっきり言って、それは「社会のあり方」が間違っています。決められた慣習やルールに人や動物、植物をはじめとする生き物が合わせる「ケアレスな状態」から、生き物に合った社会を作っていく「ケアフルな状態」が当たり前になるためには、ぼくたちは意識を変えていく必要があります

「ちょうどよい」は、人それぞれ違います。なぜかというと、その基準は各自の「身体実感」に基づくからです。各自の「身体実感」は男女差をはじめ、身体自体が異なるだけでなく、季節や年齢、家族や友人、職場での人間関係に影響を受けやすい、もしくは受けにくいなどの差異も含まれています。

「ぼくたちが利益を生まない図書館を続ける理由:東洋経済オンラインより」

この書評を担当したのが、1983年生まれのえっさんとは同世代で「人文系私設図書館ルチャ・リブロhttps://lucha-libro.net」を運営している青木真兵さん。この記事を読んだとき、「ちょうどよい」生活がしたいって表現とその意味合いがなんかしっくりくるなと感じたのだ。「自分らしく」でもなく、「ゆとりある」でもない「ちょうどよい」生活。

えっさんは子どもに社会的・経済的に成功して欲しいという希望はなくて、自分の希望に沿ったライフを自ら切り拓き、ゆっくりでも築いていける人になってくれたら嬉しいなと思っているのだ。そして、親である自分も無理はせず自分の「ちょうどよい」身体感覚に正直に生きていきたいと思っていたので、それを的確に表現をしてくれているように勝手ながら感じたのだ!

・自戒を込めて!利益ばかりを追い求めない!

青木さんはこの記事の中で「社会に存在していいのは利益を生み出すことだけなのでしょうか。あ、そうか。ぼくたちはこういう社会が息苦しいから、経済的な利益を生み出さない活動をわざわざしているのだと気が付きました。」とご自身で図書館を運営されている経緯について話をされていて、共感するものがあった。

最近の子どもの教育関連の習い事の目標設定が「稼げる子どもにしよう」という風潮が、なんだかしっくりとこないでいた。えっさんは今、いくつか組み合わせて仕事をしながら子どもの教育費を捻出しているわけだが、仕事の中には学生のキャリア支援をはじめ利益を生まない仕事もある。

えっさんが利益を生まない仕事をしている理由は、青木さんとはニュアンスが違うかもしれないが「自分の中のバランス感覚を大事にしたいから」なのかもしれないと気づかされたのだ。バランスというのは身体的にも精神的にも自分が整う感じとでも言ったらいいのだろうか。アンバランスな状態で生活を続けることが、自分にとっては一番ストレスになることをこれまでの失敗を通じて、ようやく気づいたのだ。

確かに利益ばかりを追い求めているとなんだか息苦しさを感じることがこれまでもあった。ただ、生活するための必要最低限の稼ぎは必要なので、その活動はできれば組織的な縛りや制限、時間の切り売りからは距離を置いたところですることが自分にとっては「ちょうどよい」生活なのだと感じる。まだまだ課題は多いけど(>人<;)

また、現在1歳である子どもの教育には幼児教室とナーサリー(認可外保育園)に通っていることもあってお金は認可保育園に通うよりはかかっている。しかし、その理由はまず子どもの変化のきっかけとなる体験を除いて教育の他に世の中にある「商品」でお金をかけたいと思うものがあまりないというのがある。そして、次に日本の平均を基準にした教育システムから離れたところで多様な人たちと交流を深め、自分が「ちょうどよい」と感じる感覚について知る経験をたくさんして欲しいということも大きいのだ。

・自分にとっての「ちょうどよい」生活とは!?

自分にとって「ちょうどよい」生活とはどんな生活だろう?なんとなくのキーワードや、漠然としたイメージが頭に浮かんだとしても、ぴったりくる言葉で言語化できる人も多くはないのではないかと思う。

「ちょうどよい」という感覚は、これかな?と思ってやってみたけど「自分の中では違った」「思ったよりハードだった」「なんだかフィットしない」といった身体実感を通じても、育まれていくものなのかもしれない。
10代20代と早くに自分にとってぴったりくる「ちょうどよい」生活に気づくことができたほうが、無理のないライフを過ごすために動ける時間が長いという意味ではいいだろうなとも感じる。子どもには、自分の「ちょうどよい」を気づけるような身体感覚を研ぎ澄ます経験を小さい頃からたくさん積んで欲しいなと思うのだ。

あなたもぜひ一度、自分にとっての「ちょうどよい」生活について、言語化してみてはいかがだろう。
そして、言語化したらその生活を叶えるために今、無理していることや嫌なことはなんだろう?と振り返ってみることは、将来にわたって無理のないライフを考える上では役に立つかもしれない。

何事も行動をしてみなくては得ることはできないが、自分の容量を大きく超えてまで無理をする必要はどこにもないのだ。「ちょうどよい」生活を身体感覚にあがなわずに過ごし、自分に合ったペースで営んでいくことは日常がほんわか幸せな日々になるコツだとえっさんは感じるが、あなたならどう感じるだろう??

今日の子どもが豊かに生きるヒント!

自分の等身大の「ちょうどよい」感覚を知るというのは、子どもはもちろん親にとっても幸せな生活を送る上では役に立つことだと感じる。「あなたにとって『ちょうどよい』生活とはどんな生活ですか?」と聞かれて、それが言語化でき、そして実際にその通りに生活をしていたら、他者と比較して不安になったり落ち込んだりということもなくなるかもしれないな。

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