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地方移住を真剣にシミュレーションするほど都市の気楽さとそのリスクに気づく!

・子どもの頃の地方滞在体験について

母親と唐津城 Photo byえっさん

えっさんの母親の実家が佐賀県唐津市にあって、小中学生の頃は夏休みの度に家族みんなで遊びに行っていたことを最近懐かしく思い出すことがある。
唐津は、海があってお城があって、広大な松林(https://www.karatsu-kankou.jp/spots/detail/1/)があってとても美しい場所だ。夏休みの帰省では、海で真っ黒に日焼けしてクラゲに刺されて痛くて、魚釣りをするのに必死で餌になる虫を触って、トンボの目を回すことにハマった。夜になると蚊取り線香の匂いがするお庭で花火をして、スイカを食べた。
海産物も美味しくて、網で焼いたさざえに少しの醤油を垂らして食べたり、呼子ではまだ生きて動いてる透明なイカを丸ごと食べたり、塩漬けにしたウニをご飯いっぱいにかけて食べたりと生き物をいただくという実感。まさに五感が研ぎ澄まされた体験をさせてもらった。
そんな良い思い出が多いので大人になってからも、唐津市にはふるさと納税をしたりしている。祖父母が他界してもなお、自分自身にとって思い入れのある特別な土地なのだ。
父親も九州出身なので、従兄弟が福岡にいることもあり唐津の帰りに寄って明太子や博多ラーメンを食べるのも大好きだったし、今もラーメンと言えば細麺とんこつだし、小さい頃から自分の味の好みが変わらないことにも気づく。
風光明媚な唐津と、暮らしやすい福岡。こうした地方での夏休みの滞在体験は、今もなお鮮明に自分の中に息づいている。

夫とえっさんの実家は、ともに自宅から公共交通機関で1時間圏内の場所にあるので、子どもを連れて遊びに行っても日帰りで滞在することができる。それはそれで祖父母と遊ぶ機会がたくさんあって良いのだが、子どもにこれからどんな体験をして欲しいだろうとふと考えたときに、日本のいわゆる地方都市と言える場所にも一定期間滞在するという体験をして欲しいな〜と思ったりしたのだ。そのときにイメージするのは、やはり自然豊かで食べ物も美味しい唐津のような場所なのだ。

先日、ブログでも「デュアルスクール」について書いたが、日本国内でも都市部と地方では視点が異なることがたくさんあると思うので、身体感覚としてそうした違いをリアルに体感することで、日本に関しても異なる感覚と視点をもてるようになってほしいなと思うのだ。

・地方移住をシミュレーションしてみた!

えっさんは就寝前にスマホを片手に住宅情報サイトや、地方の移住者向けのサイトなんかを見ながら、どんな地方での暮らしが実現可能だろうかとシミュレーションすることもとっても楽しいなと感じる!
夫の転勤があったときに一緒について行くのが現実的なのかもしれないが、いきなり生涯にわたって移住することを計画するのではなくて、まずは前述の幼少期の夏休み体験のように一定期間滞在することで、自分たちにとってどんなリアルな生活が待っているのかを実体験することからスタートしてみるというのも大事な選択肢かもしれない。

地方も色々だが、大阪、福岡、名古屋、札幌のような大都市圏だと首都圏と比較しても目に見える暮らしのスタイルには大きなギャップはないのかもしれない。しかし、地方ではなく例え都内であっても多摩の奥地ほうに友人が移り住んだときは大きなギャップを感じたと言っていた。ギャップの最たるものが地域の人たちとの交流や関係性の濃密さで、そこに馴染めずにすぐに都市圏に居住を戻したのだ。
えっさん自身も仕事のプロジェクトで地方都市に一定期間滞在したとき「街のどこどこで、だれとだれが一緒にいた」など、かなりどうでも良い噂がすぐに広まるような人との距離感が慣れていないこともあって、長く住むことを考えるとギャップを感じた。また、首都圏から来た人というだけで服装や持ち物までチェックされたり、注目されたりすることにも驚いたことがある。
移住をリアルに考えれば考えるほど、その土地特有の習慣とそれに紐づく人間関係の距離感に悩む可能性が大きいということが移住を考える上での現実的な課題なのではないかということに気づくのだ。

そうした濃い人間関係面を考えるとお試し移住のようにして滞在するときは、お客さん扱いで親切にしてもらえたりで良い側面が際立つかもしれないが、都市部の生活に慣れている中でリアルな土地の習慣や、人間関係に馴染むことに苦労するのではないかと容易に想像でき、二の足を踏んでしまうのかもしれない

・都市の気楽さがもたらすもの!

えっさんが今住んでいる自宅マンション内では、住民の人との交流というのが一切ない。全くのゼロなのだ。
引っ越しのときに隣りや上下の部屋の住民とはご挨拶したものの、まったく生活音が聞こえないし、今も暮らしているのかさえよく分からないくらいだ。
挨拶したときの様子だとどの人たちも仕事が忙しそうな人が多く、普段すれ違うなどで挨拶する機会も、半年に1度あるかないかという頻度の少なさなのだ。
5年以上住んでいて、子どもが生まれてすぐの泣き声がよく聞こえるだろうタイミングでも、誰からも注意を受けたことがないし、逆に誰に対しても「これはやめて欲しい」「静かにして欲しい」などと思ったこともないのだ。

その代わり、マンション内の誰からも子どもが生まれたことに対して何か言われることもなかった。恐らく誰が今、どんな状況で何をしているのかなんてことも誰も気にしていないような気がする。
昔から「遠くの親戚より近くの他人」とは言ったものだが、今の住まいの人間関係についてはいざというときに頼りになるような他人も存在しない。他者との関係性が希薄なのではなく、そもそもないというのもまた、事実なのだ。

えっさん自身は、ママ友のように徒歩圏内に信頼できる人が数人いたりするくらいが今住んでいるエリアの人間関係としてはほど良いように感じてしまっている。生活インフラは快適で、ECサイトで注文した商品のほとんどが配送料無料で翌日に届き、スーパーも薬局もコンビニも子どもの主治医をはじめ医療機関も大きな公園も、JRも地下鉄の駅も、徒歩5分圏内にある。電車も、バスも5分ほどの間隔で正確に運行されていて、移動の待ち時間のストレスもほとんどない。近所の人と関わる機会がなく、ゴミ捨ては24時間OKで仕分けルールも厳しくない環境はとても気楽だということを移住のシミュレーションをする中で再認識することになった。恐らく都市部における生活インフラの便利さは年齢を重ねれば重ねるほど、メリットを感じるようになる気がする。

しかし、こうした暮らす上ではとても気楽な環境が生まれてからずっと当たり前に育ってしまうと自然が多い環境で暮らすために必要な力。例えば、他者と協働しながら、労力や手間を惜しまずに自然と共存し自活するといった力がどんどん失われていくだろう危機感もあるのだ。だからこそ、子どもが小さいうちに自然の多い環境で一定期間、移住し暮らすことも真剣に考え続けたいと思っているのだ。

今日の子どもが豊かに生きるヒント!

都市に住むのは自然が多いところに住むのに比べると人間関係をはじめとても気楽で、生活インフラも整っていて便利ではある。しかし、それが当たり前になってしまうと気楽な環境からは遠い場所で住むことに抵抗が大きくなったり、またそのために必要な力が養われないまま大人になってしまう可能性もある。それは子どもが将来、自力で生き抜く上ではリスクなのではないだろうか。子どもが自然豊かな環境でも生き抜く力を養う体験も、将来どんな場所で生きていくか分からないからこそ欠かせないかもしれないな〜。

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