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6歳ながら「モナ・リザ」より衝撃を食らった「ジプシーの女」

・「ジプシーの女」との出会い

今日は小さい頃の憧れを思い出した!という個人的な話。
息子が生まれてから、これまで思い出すことがあまりなかった自分の子どもの頃を思い出すことがよくある。
それは良い思い出も苦い思い出も両方。
今回は良いとか苦いとかではなく、小さい頃の「憧れ」について思い出した話。

さて、フランス・ハルスの絵画「ジプシーの女」という作品をご存知だろうか。
フランス・ハルスはオランダで活躍し、フィンセント・ファン・ゴッホにも影響を与えた肖像画の名匠だ。
この絵画は1628年から30年にかけて制作されており、現在「ルーブル美術館」に所蔵されている。

家族旅行でパリを訪れた際に、親に「モノホンの『モナ・リザ』を観せてやるわ〜」とドヤられ、初めてルーブル美術館を訪れたのは、えっさんが6歳の時だった。
ルーブル美術館も敷地が広大かつ作品数が多く(収蔵品は38万点以上あり、その内の約3.5万点が展示)、大人でも1日ではとてもじゃないが鑑賞し終えることが出来ないため、誰もが知る有名どころだけをピックアップして美術館を巡る計画を親は立てていた。

こんな感じ?
https://www.jtb.co.jp/kaigai_guide/report/FR/2016/06/louvre.html

当時えっさんも幼いながら「民衆を導く自由の女神」や、「ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョセフィーヌの戴冠」なんかには、作品のスケールも何メートル単位で大きいということもあり、当時の人たちの服装なんかにも興味をそそられて、見入っていたのを覚えている。

しかし、「モナ・リザ」についてはひときわ人だかりが出来ていたので、そこに「モナ・リザ」があるということはすぐに分かったが、間近で鑑賞するまで結構な時間を要したのだ。
さらに、そこに辿り着くまでに歩き疲れていて、なおかつこれまでの有名な作品に比べると作品自体のサイズがこじんまりとしていることから「あ、これが本物ね〜もっと大きいと思ってた!これが人々を魅了した微笑みかぁ」くらいな印象だった。。。

それにもかかわらず、親がピックアップしていなかった「モナ・リザ」よりも更に小さいサイズで当時、特に人だかりもなかった「ジプシーの女」にとても心を惹かれたのだ。
「ジプシーの女」も「モナ・リザ」と同様に、微笑んでいる人物の表情に特徴があるのだ。
しかし、「モナ・リザ」のモデルが上質な衣装を纏っているのに対して、「ジプシーの女」は胸もはだけた粗末な服を着ていることから娼婦をほのめかしているのだ。
この作品のモデルとなった女性は分かっていないので、ジプシーの女性だったのかどうかも分かっていないが、タイトルとして「ジプシーの女」とつけられている。

・「ジプシーの女」が衝撃的だった理由

「ジプシー」という言葉は、ヨーロッパを主としてアジアの一部の国を除く世界各国に散在している少数民族(一般的には移動生活者、放浪者のイメージが強い)を指す他称のこと。
ジプシーの人々は長い間、差別や迫害、偏見を受けてきた歴史があって、ジプシーという呼称は差別的なため、今は彼ら自身が用いる「ロマ」を呼称としては使うことが多い。

えっさんが住んでいたヨーロッパの都市にも、キャンピングカーで生活する当時は周囲から「ジプシー」と呼ばれていた人たちがいた。
今でこそ移動もできるトレーラーハウスをはじめとしたタイニーハウスがアメリカで人気があるように、日本でもキャンプ人気の高まりとともにキャンピングカーは高価でおしゃれな車といった印象を持つ人も増えたのではないだろうか。
しかし、今から30年前はキャンピングカーで暮らすというのは、貧しさとイコールのイメージをえっさんは周囲の言動から感じとっていた。

えっさんは周囲から「ジプシーには近づくな、何をされるか分からないぞ」という趣旨のことを英語で脅されていたが、その生活スタイル(旅をしながら、各地を転々とする)に当時からとても憧れをもっていた。
遠目からではなく、彼らの生活するリアルな空間を見てみたいと思っていた。
キャンピングカーの近くを車で通る度に、中の様子がちらっとでも見えないかとずっと目で追っていたのだ。
そして、出来れば近くに行ってキャンピングカーに招待してもらえるくらいに彼らと仲良くなれないものかと思案していた。

ルーブル美術館で初めてこの絵を観たときは、絵画のタイトルが分からず「ジプシーの女」の前で、モデルの女性がみせる生気溢れんばかりの生き生きとした表情に釘付けになった頬が少し赤く、今、この時を生きているといった自由な雰囲気。その自由を謳歌している人物の表情と服装から感じとるその人物の生活環境とのバランスが、子ども心に衝撃的だったのだ。

そして、その時に親に買ってもらった日本語版の「ルーブル美術館」の作品集の中で、ネーミングをみた時の更なる衝撃。当時、近づきたいのに近づくことができなかったロマの人たちへの憧れとがリンクして、「自由に生きる喜び」の象徴として心に深く刻まれた作品となった。

・子どもが自分の顔を思い浮かべるとき

ロマの人たちは、当時、「自由の民である」と自分たち自身のことを認識していたのだろうか。
実際のところは全くの自由というよりは、集団で移動する彼らは組織化され、定住する人たちと同じように生活のための細かな規定やルールがあり、秩序を重んじて暮らしているようだ。

特にロマの女性は、占いや、歌と踊りで生計を立てたりとミステリアスでロマンチストな自由な雰囲気があり、一方では物乞いをして生計を立てたりと貧しい雰囲気の双方をもちあわせているようにえっさんの目には映っていた。
一般社会から距離を取ることを、気に留めていないように映る雰囲気から画家は彼女たちをモデルとして描きたいと思ったのかもしれない。ただそれは、周囲が生活スタイルのイメージから自由で気ままな印象を持っていただけなのかもしれないのだが。

ロマの女性たちがどのように実際に自分たちの生活スタイルを考えていたのかは分からない。
しかし、絵画「ジプシーの女」が見せるその表情は、やはり今を精一杯に、そして自分の心に素直に逞しく生きている瞬間を捉えていた。
そして、いつか自分も今を懸命に生きることで、あんな表情を自然と出来るよーになりたいと思ったのだ。

そして、今自分が大人になってあんな表情をする瞬間が少しでもあるのかは・・・まったくもって自信はない。
けれど、子どもの顔を見ながらえっさんはふと思ったのだ。
子どもが親の顔を思い出すとき、どんな表情の瞬間が印象として残っていたら嬉しいだろうと。

あなたは今、子どもが自分の顔を思い浮かべるとき、どんな表情の自分を思い起こすと思うだろうか?

えっさんは、少なくともスマホの画面を眺める自分の表情を思い起こして欲しくはないなぁ〜と思ってから、遊ぶ時は子どもの顔をよく見て、夫が子どもをみていたり、子どもが寝ているときだけ気晴らしに画面をみるようにしている!

今日の子どもが豊かに生きるヒント

小さい時に憧れている人はいただろうか。もしいたとしたら、その人のどんな表情を一番はじめに思い浮かべるだろうか。
そして、子どもが自分の表情を思い浮かべるとき、どんな表情の自分だと思うだろうか。
子どもが思い出す瞬間の表情が、不器用でも今を精一杯、逞しく生きている自分のありのままの表情だったら何だか嬉しいよね!

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