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子どもに「贅沢」を覚えて欲しくはないが、「美味しい!」も知って欲しいという葛藤!

・年齢関係なく人は味覚に正直!

Photo byえっさん

最近、保育園では「味覚」についてのワークショップをしていて、「苦味」だったのだろうか子どもの何とも苦そう顔をしている写真が面白かった!
その写真をみながら「甘味」「苦味」「酸味」「塩味」「旨味」と味の基本について、子どももしっかりと感じられているんだな〜としみじみ。
確かに、家で食事をしていても同じ「甘味」がある果物でも「酸味」が強いいよかんは、「甘味」が強いオレンジよりも後にお腹に余力があれば食べるようになるなど分かりやすい行動として現れることが多くなった。

本来であれば、離乳食でももっと出汁であったり「旨味」をしっかりと感じられる食事に慣れて欲しいと思いながら、ついマヨネーズやケチャップといった子どもが好きな調味料に頼ってしまいがちなえっさん。
子どもも一度、濃い味を覚えてしまうと自分が感じる「美味しい」に素直なので、味が薄く感じてしまうものに興味をもたなくなったりという経験をされている親も多いのではないだろうか。えっさんは、今まさに経験中。笑。
ママ友との会話の中でも「一度、普通のかっぱえびせんを食べてしまうと、2度と子ども用のかっぱえびせんには戻れないってよく聞きます」といった話も出て、「ひぇ〜、恐ろしい」と思った。

以前夫と行ったフレンチレストラン(写真上)でコース料理が出てくる前に「味覚」をフラットにするためにゲーム感覚で「味覚」当てクイズが出されたことがあった。この時、自分がいかに普段濃いめの味付けに慣れ過ぎてきたんだろう?とふと気づかされたことがあった。
薄いと物足りなくなるのは、子どもも大人も同様なのかもしれない。この「味覚」の体験を通じて薄いという理由だけで食べ物を美味しく感じられなくことに危機感を抱いたきっかけになった。

友人からの贈り物で美味しい出汁をいただき、その出汁でお味噌を作ったときのこと。
味噌の味や量を変えたりしたわけでもないのに、無意識に思わず「美味しい!!」と口から漏れたことがあった。本来、人は濃い甘い味付けではなくても、きちんと「味覚」を感じられ正しく「美味しい」を判断できる力をもっているのだ!
子どもには素材本来の「味覚」を通じて「美味しい」ものを知って欲しいな〜と思う今日この頃。

・ハードルは低いほうが幸せ?

さて、少し観点を変えて親としては子どもに素材本来の「味覚」を通じて「美味しい」ものを知ってほしいと願うわけだが、次に「贅沢」なものを子どもに食べさせることについても考えてみたい。

大人になってから握ってくれる高級なお寿司屋さんに行くことに慣れていた人が、実家に帰ったときに親が特別な日にしか頼まない「とびっきり美味しい!」と毎回絶賛するお寿司の出前を頼んでくれたときの話。
その人は親が「美味しいでしょ?」と目を輝かせて感想を聞いてくるそのお寿司を食べながら、心の中で「まずい…」と感じてしまったという話をしていたことがとても印象に残っている。

生活水準でも同じことが言えるかもしれないのだが、一度本当に「美味しい」ものを食べて知ってしまうと、それまで「美味しい」と感じていたものの水準が上がってしまうのも人の悲しい性なのかもしれない
例えば1人前5万円もするような高級なお寿司の味を知らなければ、昔から家族のお祝いで食べていた思い出のお寿司をこれまでと同じように「美味しい!」と素直に感じることが出来たかもしれない。

えっさん宅の事例で言うとジジババは孫が可愛いので、果物でも普段えっさんが絶対にスーパーで買わないような高価な甘い苺を買ってきてくれることがある。それを子どもが美味しそうに食べて味を覚えた数日後・・・えっさんが買ってきた普段使いのちょっと酸っぱい苺に「あれ?なんか違う。見た目は同じだけど、知っている味じゃない」と言わんばかり分かりやすい表情を食べた瞬間してくれたりする。笑。何なら、口からベぇ〜と出すこともあった(T ^ T)

そんなこともあり、一度「美味しい」のハードルを上げてしまうと、子どももその味がベースになって同じ食べ物でも「美味しい」「まずい」といった判断をすることになることを、だいぶ意識するようになった。
お菓子のような食べ物とは別に、素材本来の味が「美味しい」ものはだいたいブランドの果物や野菜、お肉、お魚として販売されていたり、お店で提供されていたりとお値段も高価な「贅沢」品であることが多い。

そんなに高価なものではなくても、感動するくらい美味しいものはたくさんある♪親としては、そこに目をきちんと向けたいと感じるのだ。
一方で、子どもの頃の「美味しい」のハードルが低ければ低いほうが、これから先、大人になって自分が自立して稼いだお金で食べ物を食べたときに「美味しい!!!」と感動できることがいっぱい待っているとも言えるな〜と思うのだ!!

・「美味しい」の価値基準は自分の中に!

今回の話の要点を少し整理するとこんな感じ?

・子どもには素材本来の味覚を通じて「美味しい」をたくさん知ってほしい

・けれど、素材本来の味が良いもの、美味しいものは高価なものも多い

・贅沢品ではなくても美味しいものはたくさんあるので、まずはそこからスタートしたい

・子どもの頃は「美味しい」のハードルは低いほうが、この先「美味しい」の感動体験がたくさん待っている

今はスーパーで美味しい焼き芋が買えるようになって、子どももそんなスーパーの焼き芋が大好きなのだ。けれど、えっさんが焼き芋で思い出す味と言えば、子どもの頃に落ち葉を集めて、さつまいもから作った焼き芋の味。その焼き芋が、とてもほくほくして、甘くて美味しかった思い出は、今でも記憶に残っている。
また、お餅もお家で切り餅を焼いて海苔とちょっとの醤油で食べて食べるのも美味しい!のだけど、はやり思い出すのは寒い日に外ではぁはぁ白い息を吐きながら餅つきをした日のこと。出来立てほやほやの柔らかいお餅に海苔を巻いて、そのまま食べた味にはどうしても敵わない気がしてしまう。
はたまた、全身びしょびしょになりながら手づかみした川魚を塩を振って、焼いて食べたときの命をいただくことも含めて感動したことが蘇る!
そう考えてみるとさつまいもにしても、お餅にしても、お魚にしても決して原材料としても高価なものではなかったけど、旬の時期だったりに素材そのものを体験込みで新鮮な状態で味わうということ自体が、尊くて美味しく幸せな時間だったんだな〜ということに気がつく。

子どもには高価な食材や甘いお菓子を食べさせてあげるより、味付けも素材の味を引き出すだけで素材そのままでも充分に美味しいものをたくさん知って欲しいな〜と思う。
これまでは子どもには自分が食べた中で、本当に美味しいと感じたものを知って欲しいなという気持ちがあって、子どもにも将来、あれを買ってあげたいとか、あのレストランに連れていってあげたいな〜と考えることもあった!
けれど、それは子どもがこれから「美味しい」体験を重ねる中で自分の価値基準をもてるようなったら、高価だったり贅沢なものに限らず、「美味しい」を自らの好きなように開拓していったらいいのかもしれない。
その基準が子どもにできるまでは、親としてはできるだけなんてことない日常にある食べ物こそ、体験込みでの「美味しい」の感動体験を一緒に積み重ねていけたら幸せだな〜と感じる^ ^

今日の子どもが豊かに生きるヒント!

子どもが食べられるものが増え、味をしっかりと感じられるようになると、つい喜んで食べてくれるだろう甘いものや味が濃いものを食べさせてあげたくなってしまうこともあるのではないだろうか。けれど、素材本来のままでも安価で美味しいものはたくさんあり、その素材を活かし、味わいを引き出すことも子どもと一緒に体験できたら親にとっても楽しい思い出になるはず。そして、日常にある普段使いの食べ物からスタートして、素材そのままの「味覚」を通じて「美味しい」体験を積み重ねていけたら、子どもの豊かな食育にもつながるかもしれないな〜。

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