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脱力系な幸せの国「フィジー」から学ぶとことん気楽で、底抜けに明るいライフスタイル!

・「まんが南の島フィジーの脱力幸福論」でゆる〜い気分に♪

週末に親友と谷中でホットレモンを飲んでからゆる〜く散歩をしているとき、えっさんが「人生、生き急ぐ必要なんてないし、もっとゆったりと生きようと思うんだよ〜」と話をしたら、親友から「えっさんからそんな言葉を聞く日が来るなんて思わなかったわ!人の10倍速くらいで何でもやってきたえっさんがね〜びっくり!!」と言われたのだ。

そう、人の価値観は劇的には変わらないまでも、少しずつ変わっていき、それはやがて大きな変化として相手に伝わるものなのかもしれない。このブログをスタートしてからも、このブログが目指すところ「子どもが今の時代を心豊かに生きるために」というテーマは変わらないけれど、えっさん自身も他者から学びつつ、ブログに整理することで考え方が変化していることに気づくことができる!

しかしながら、先の「ゆったり生きようと思う!」といった発言は最近、読んだ本(マンガ)に影響されているところも大きいかもしれない。笑。
その本がこちら⬇︎。その名も「まんが南の島フィジーの脱力幸福論」だ!

まんが南の島フィジーの脱力幸福論 /いろは出版/永崎裕麻

日本では考えられない笑撃の習慣と心温まるエピソードに、肩の力が抜けていく…。世界幸福度ランキングで何度も1位に輝く南の島”フィジー”から、生きづらい世の中へ届ける脱力系幸福論マンガ!
                          ー「まんが南の島フィジーの脱力幸福論」紹介文より

以前ブログで幸せの国「ブータン」については幸福度が下がっているという話をした⬇︎

しかし「フィジー」について言えば、「ブータン」の幸福度が高かった背景とは異なるようだ。ブータンのように国によって情報統制されており、これまで「みんな同じ程度の経済状況だから他と比べずに済んでいたので、幸せを感じられた」という状況ではなく、国全体が「99.9%は幸せの素人」⬇︎でご紹介した幸せになるための原則をハードルをぐっと下げた状態で体現しているよう文化や習慣が根付いている印象を受けた!

この本自体はフィジーの人たちの幸せの秘訣がエピソードとしてたくさん紹介されているので、「あ〜なんかしんどいわ〜」と感じた時にでも、パラパラとめくって流し読みしていくうちに自然と顔がにやけてしまうから不思議。
そして、「そんな深刻になる必要ないわ!もっと力を抜いて気楽に生きようっと♪」という気持ちになれる魅力がある!!今回は、そんな数あるおもしろエピソードの中からえっさんが「最高じゃないか!!」と思ったライフスタイルをご紹介しようと思う♪

・とにもかくにも今を生きる!

これはえっさん自身も最近までそうだったのだが、日本人って先の未来のことを考えて不安になりがちだな〜と思うのだ。ブログを書くきっかけでもあり、コロナ禍も関係はしているのだけど、なんだか得体の知れない不安感がこの国には蔓延していると感じることがあった。

けれど、フィジーの人たちのエピソードを読んでいると、今を精一杯生きてやりたいことをやることが幸せにつながることがありありと伝わってくるのだ。

えっさんが数あるエピソードの中で印象に残ったのが、ヤシの木からココナッツが頭に落ちてきて介護が必要になったお父さんの隣りに付き添う息子の話だ。
まだ若そうなその息子は、リゾート地で働いていたけど介護のために仕事を辞めたそうだ。著者が「仕事やめて大丈夫?」と聞いたら、「お父さんが死んだら仕事探すよ!」と答えたそうだ。
著者は将来を心配し「介護はいつまで続くか分からないし、若いうちは将来のためにやりたいことやった方がいいんじゃないの?」というニュアンスのことを伝えたら、「自分が今、一番やりたいことがお父さんの介護なんだ。お父さんも自分も今日が人生で最後の日かもしれないし、仕事なんてやっていたら後悔するって。Life is Short!」と笑顔で答えたというエピソードが紹介されていた。

このエピソードを読んで、改めて日本は世界的にみても仕事の優先度が異様に高い国なんだよな〜と振り返った。
えっさんも仕事のために大切な友人の結婚式に出られなかったり、家族との時間や自分の健康を犠牲にしたりしたことがあったので、今から考えると「なんであんなに仕事、仕事って取り憑かれていたのだろう・・・」と反省しかない。もうこのような後悔はしないと心に決めたのだ!!
まだまだ日本からは過労死がなくならないし、仕事から逃げられずに苦しんで、体調を崩したり、精神疾患になったりする人が多いというのはフィジーの人からすると全く理解できないことなのだと思う。
日本人の場合は「今、この仕事を辞めたらこの先どうなるのだろう?」という不安感を常に抱えていて、辞められないということもあるかもしれない。

けれど、「人生は短い。」という価値観で生きていたら、今いちばんやりたいこと大切にしたいことを最優先に向き合おうって純粋に思えるかも。えっさん自身は、仕事自体は好きなので職場や働き方を変えても、自分の心身に支障がないうちはどんだけお金があっても(そんなことは宝くじでも当たらない限りないと思われる。あ、宝くじをそもそも買ってないんだった。笑)仕事することを完全に辞めることはないかもしれない。けれど、今を幸せに生きるという意味では、「今、自分がやりたいをやれているのか?」という問いかけに、自分の本心を偽らずに「YES!」と言える状態であり続けたいなと感じた(^ ^)

・誰かのためにお金を使う!

フィジーの貯蓄率はかなり低いそうだ(今の生活を大事にしている国では総じて、貯蓄率は低い)。
しかし、誰かのためにお金を使うことを全く厭わない国民性なのだそうだ。
「99.9%は幸せの素人」でご紹介した通り⬇︎、人は誰かのためにお金を使うと幸せになれるのだ。

エピソードの中に近所のおばちゃんが体調を崩したので著者が一緒に病院に行こうとしたけど、「バス代がない」と言われて往復分のバス代(90円)を渡すというエピソードがあった。(フィジーは公立病院の診察は無料なので、バス代があれば病院には行ける素敵な国なのだ。)
病院のバス停に着くと物乞いをしている女性がいて「助けてくれ」と言われ、著者はスルーして通り過ぎようとしたところ、さっきバス代がないと言っていたおばちゃんが「頑張りや〜」と言って物乞いの女性にお金をあげていたので、著者が「お金もっていたの?」と聞いたら「あんたから借りたお金を寄付しただけ」と言ったそうだ。
著者は「えーじゃあ帰りはどうするの?」と聞くと自分の体調が悪いのに「物乞いの人の方が大変なんだから、帰りは歩いて帰ったらいい。あんたが私を助けたみたいに私も人助けしないとね〜♪」(炎天下で徒歩だと帰りは2時間はかかるのに・・・)と言ったそうだ。

また、著者が「事故で足を怪我した」と新聞片手に物乞いをしている男性にお金を渡したら、他の人から「あの人は新聞記事に載っていた人ではなくて、有名なニセ物乞いで関係ない記事を自分のことのように見せてるんだよ」と指摘され、ショックを受けた話も紹介されていた。後日、そのニセ物乞いにお金を寄付している人を見かけ「今の物乞いはニセ物乞いなんですよ」と著者が伝えたところ、「知ってるよ〜でも、人に嘘をつかないといけないほど困っているのだから助けてあげないと。嘘つかなくてもいい生活を取り戻せるよう祈っとくわ〜♪」という返事が返ってきたというエピソードも。

物乞いの人に限らず、困っている人がいたら手を差し伸べる。そういうエピソードがたくさん紹介されていて、なんだかあたたかい気持ちになった^ – ^
フィジーでは、ケレケレという「共有」の文化があり、自分のものと相手のものの境界があまりないそうだ。自分のものを相手に快く共有するのが当たり前なので、逆に勝手に自分のものを使われていたなんてことも多いようだが、笑、共有の文化が助け合いの文化とも密接につながっていることを感じた。
もし日本全体に自分のものに固執せずに、相手に与えることを当たり前にできる文化があったなら今よりも幸せを感じられる人が多いだろうな〜と想像しつつ、まずは自分の周りの人が困っていたら躊躇なく手を差し伸べられるように生きようと誓うえっさんなのだった。

今日の子どもが豊かに生きるヒント!

フィジーの人たちのエピソードからは、そんなに未来のことばかり心配しても幸せからは遠ざかるという当たり前の事実を突きつけられた感じがした。未来のことのために今の自分がやりたいことや困っている人を見て見ないフリをするという生き方をしてはいないだろうか。フィジーの人たちの生き方は日本人からすると極端に感じることもあるかもしれないが、自分の生き方の一部にでも取り入れることが出来たなら、今よりもうんと肩の力を抜いて、この瞬間を楽しんで生きていけるかもしれないな〜。

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