・書籍『「いそがない人」がいい人生を送る』
えっさんが現在所属している企業は100年ほどの歴史ある大企業なのだが、前職や副業先がスタートアップはじめスピード感がある企業や業務ばかりだったので、その時間の流れ方の違いにかなり驚いた!
感覚的には自分が「1」のスピードで仕事をしていると、相手(特に管理職の人)は「0.3倍速」のスピードで仕事をしているような感じなのだ。動画を普段から倍速で見ることに慣れている人が、0.5倍速で動画をみるときの感覚に近いかもしれない。
そんなわけで、えっさんは自分の仕事が早々に終わってしまっても、相手のレスをしばし待つことになることが多い。そのため、自分の中の仕事の時間配分を見直しながら仕事を進めるということが日課になった。
はじめは、スローモーションの中にずっといる感じので「どうしてこんなに生産性が低いんだろう」とか「仕事は遅いのに、成果物のレベルも伴わないのは何で何だろう」とか相手の仕事のやり方を不思議がっていたのだが、相手のことを気にしても何ら自分の気持ちが上がらないわけだ。
そして、しばらくして思ったのだ。
自分の仕事のペース自体を無理に変える必要はないかもしれないけど、見方を変えると仕事をする上でじっくりと情報収集したり、1つの業務について余白時間があり、その時間を有効活用して深めてアウトプットできるのって悪くないな〜と。
えっさん自身は、自分のことを振り返るとやや生き急ぐ傾向があるのだ。とにかく思い立ったら即日。
直ぐに行動することに重きをおきがちだ。考え方の根本が「やってみないと分からないじゃん」って思いがち。
しかし、ここにきて仕事だけではなく自分自身のペースを落としていこうかな〜と心情が変化してきた。
そんな時に参考になったのが、こちら⬇︎「ゆっくり力」って素敵なキーワードだ。
「いそがない人」が、いい人生を送る 元気がわく「ゆっくり力」 /三笠書房/斎藤茂太 | ||||
この本の著者は、朝刊を見ていて「非暴力、不服従」を提唱した平和運動の指導者で弁護士のマハトマ・ガンディーの足跡とともに「善きことはカタツムリの速度で動く」と書かれている広告が目に止まったそう。
ガンディーの運動を象徴しているのは「塩の行進」と呼ばれている抗議運動だ。この運動は英国の塩の専売に反対し、自分たちで塩を作るため24日間かけて約385キロを歩き、そのゆっくりとした歩みがやがて何百万人もの賛同を呼び、インドの英国からの独立運動の重要な転換点となったと言われている。
こうしたゆっくりした歩みが積み重なることで大きな力となり、思いがけないようないい結果を生む。それが著者が勧めている「ゆっくり力」だ。
著者も周囲の段取りが悪いと人一倍イライラするようタイプで、そうした自分のセカセカした気持ちは周りにも伝染してしまい、近くにいる人もセカセカさせてしまい、さらに段取りが悪くとなるという悪循環に陥ってしまったそうだ。
そのため、「急いでもしょうがない。ゆっくりとやろう」と自分に言い聞かせて実際にやってみたら、そのゆったりした感じも周囲に伝染し、いいアイデアが生まれて物事がスムーズに運ぶようになったそう。
そんな経験から人に余計なプレッシャーを与えないために、セカセカからモタモタへ心をシフトチェンジすることは可能だと伝えている。
特に人生の後半こそ、このゆっくり力がより重要になるそう。
地道にマイペースに歩みを進めることで、人間関係をはじめ人生が好転するといったことが書かれていた。
・子どもが生まれたことで心のゆとりを意識するように!
子どもが生まれて思うことは、心にゆとりがあると子どもがいくら泣いてもわめいても、心穏やかに見守ることができるのだが、ゆとりがないと心身ともに疲れが溜まってきてしまう。
また疲れが溜まるだけではなく、周囲の人に対しても優しく接することが時に難しくなってしまう。
例えば夫が少し育児を手伝ってくれなかったり、何か家事を押し付けられたように感じると直ぐにプリプリとしてしまいがちだ。
先ほどの本の中にも、健康のためには心のゆとりが大切で、何かに熱中する時間が心のモヤモヤを取り払い、ゆとりをもたらすといった内容が記されていた。
そういう文脈で考えると、このブログをはじめたことで自分の中のモヤモヤが晴れてきているのを感じている。
自分の中で自然と思考が整理できて、心のゆとりをもつことを意識できるようになってきたことが大きい。
えっさんの場合は、もともとの体力がないに加えて0歳児のパワフルなエネルギーに日中は体力をもっていかれてしまうのだが、夜に自分ならではの時間を夫の協力のおかげで確保できていることで、心にゆとりが生まれてきたのだ。
そうすることで日中に子どもがぐずっても心穏やかにいられるようになって、周囲を思いやる心の余力が出てきたりする。
子どもと日々向き合っていると、これでしばらく遊んで欲しいな〜とか、絵本も静かに聞いていて欲しいな〜とか、着替えの最中は大人しくして欲しいな〜とか、今からしばらく寝て欲しいな〜といった親のささやかな願望は何ら思い通りにならないわけだが、笑、子どものペースに合わせて興味を持てそうなものを焦らずに一緒に探していける時間というのもまた悪くないと思うのだ。
・ゆっくり力を鍛えた先には?
心にゆとりを持つためにはまずは自分自身が、意識的にゆったりとした気持ちをもつことを心がけることが大事だなと感じる。
日々、子育ての中で「ゆっくり力」を意識していると子どもが泣いていて自分の感情が焦ったとしても、そんな自分を少し俯瞰して眺めることができるようになってきたのを感じる。一時的な感情に自分が振り回されずに済むようになるのだ。
そうなってくると、自然と周囲の人に対しても同じような心持ちで接することができるようになってくる。
仕事においても、育児休業前は何かと効率を重視していたけれど、今であれば効率だけに囚われずに少しゆったりと周囲のことをみることができるような気がしてくる。
効率的に最短で成果を上げることがよしとされることが多い時代にあって、改めて地道に積み重ねることの価値を見直したい気持ちになってきた。
所属している企業が100年存続しているのも、もしかするとゆっくりを積み重ねてきたからなのかもしれないな〜と思ったりする。
また、人間関係においても例え合わない人でも、半年、1年と見守っていくうちに自然とお互いに変化をして、イライラしていたことが苦痛ではなくなっていくようなそんな感覚になれたらいいな〜と思う。
えっさんの感覚では3年くらい見守ると嫌だったことも薄れてきて、良かったことが思い出されるようになる気がするのだが、いかがだろうか。
最後に。前述の本の中で「一怒一老:怒る度に老化が加速する」を手放して、「一笑一若:笑う度に若返っていく」でいようといった提唱がされているのだが、とても素敵な発想だなと思った。
息子の挙動が親の真似をしてくれるようになってきて、えっさんがご飯を食べていると息子も自分の口をモグモグしているのだが、同じようにえっさんが笑っていると一緒になって笑ってくれる。
逆に息子が全く笑っていないと、えっさんも笑顔になれていないかもと我が身を振り返ったりする!
笑う度に、若返りという意味で息子に近づけたらいいな〜なんて思ったのだった。
心にゆとりがあると、相手に対して思いやりをもって接することが出来るようになる。そのゆとりは、「ゆっくり力」を身に付けることで生まれるかもしれない!ゆったりと毎日を積み重ねて、笑顔でいられる時間が長いのであれば、体力的には子どもにかなわなくなっても気持ちは若々しいままだ!
歳を重ねても親世代が周囲に元気を与えられるような存在になったら、子どもも人生100年時代を豊かに生きる希望がもてるようになるかもしれないな!