・「家事」が息抜きになる乳児期!
今を生きる子どもが、配偶者やパートナーと共に自分たちの子どもを育てる頃には、性別関係なく仕事も家事も育児も対等な世界になっているのだろうか。
10年前の感覚と2021年現在の感覚とを比較しながら、どんな変化があり得るのか考えてみたい。
今のところ2020年生まれの我が子は、男の子(これから先、子どもが性別に違和感を覚えることもあり得るので、現時点での医学上の性別)だ。
そして息子が、30歳のときにはなんと2050年(現在の日本の夫婦初婚年齢 夫は平均31.2歳から考えて)。注釈:以下、便宜的に夫婦、夫、妻という言葉を使うが、同性婚や事実婚でも同様。
だいぶ先のように感じるが、振り返るとあっ!という間なのかもしれない。
2050年頃には男女ともに対等にライフもキャリアも築ける世界になっていたら純粋に嬉しい。
婚活市場でも「男は年収、女は年齢」みたいな感覚が遠い過去のものとなり、子育てにおいても「男の子だから一家の大黒柱として家を支えられるように育てなきゃ!」というようなプレッシャーがない世界。
2021年現在、男性の育児休業義務化(2022年4月から企業が対象の従業員に個別に周知し取得を促すよう義務付けを開始)が大きなニュースとなり、「男性で育休を取りました!仕事よりはるかに大変だった!」みたいな著名人の体験談が広く発信されるようになっている。
ドラマでも、男性が育児休業をとれる日本社会に!という世の中の風潮を反映した内容で話が構成されていたりする。
えっさんも、昨年 産婦人科に健診で通っていたときは、平日の健診だけの時間帯には妊婦さんが一人で通院しているよりは、男性の人も一緒に二人(もしくは子連れ夫婦)で健診に来ている人の方が圧倒的に多かった。
周りの友人の話を聞いても、夫が料理をはじめ家事全般をやってくれるという話も聞くし(えっさんの夫は料理だけは全くしないので羨ましい)、すでに男性育休を取得してくれたという話も聞く。
家事は妻よりも得意!という夫も珍しくなくなりつつあるのだ。(まだまだ、地域差なんかはあるのだろうが)
けれど、子どもが無事に産まれてきてくれたとして、夫婦で「家事」と「育児」は対等か?という問いかけには、まだまだ「No!!!」なのではないだろうか。
新生児期から2〜3ヶ月の間の女性は、産後の身体もしんどく、夜も眠れずと疲労がピークに達しやすい。
この大変な時期に、妻が自宅にいる場合は、夫も妻の負担を少しでも減らそうと一生懸命に家事をやってくれるということも多くなった。
しかし、産後の女性が本当に望むことは、授乳以外の「育児」をとにかくやってくれ!というのが切実な思いなのではないだろうか。
ご飯作ったり掃除してくれたり洗濯してくれたりするのは、助かるんだよ。
夫は、やってくれている方だと思うしね。やらないよりは、やってくれるほうがもちろんいいよ。助かるっちゃ、助かる。
でも、例えばご飯を作るのって、子どもがいないときは面倒だな〜と思っていても、子どもがいると料理に集中できる時間が逆に息抜きになったり、自分の好みの味つけでご飯を食べたくなったりするんだよね。
だから、ご飯は私が作るから、家事よりもオムツ交換とか、夜中のミルク作りとか、お風呂入れてくれたり、泣いてる子どもをあやしたりとか、抱っこしたり育児を頑張ってくれる方が、よっぽど嬉しいんだよな〜。
仮に男性が育休とったとするじゃん。育休取らなくてもそうだけど、家事をちょこちょこ手伝って、あとは家でTV観てたり、夜中は起きずに近くで爆睡してたりしたら、蹴りを入れたくなったり、余計にストレス溜まりそ〜。
いかがだろうか。えっさん自身の声はもちろん、これまで周囲から聞いた声のエッセンスを凝縮するとこんな思いを抱えている人がなんと多いことよ!!
・10年前の男性の「家事」「育児」意識
えっさんが人事コンサルタントして働いていた今から10年ほど前、20代のときのこと。ある大手化粧品メーカーの人事をやらないか?とヘッドハンティングされたときの話。
某高級シティホテルの中にあるセキュリティの厳重な隠れ家のような応接室に通され、その化粧品メーカーの人事担当者(40代 英国でMBAを取得したキャリア女性)と、ヘッドハンティング会社の人(50代と20代後半 男性)とえっさんの4人で面談をした。
3人ともすごく高価そうなスーツを綺麗に着ていて「我々はビジネスの一線で働いています!」と言わんばかりの雰囲気を醸し出していた。
えっさんが、そのとき話をしたことの中で未だに唯一鮮明に覚えている会話のやりとりが、子育てに関するやりとりだった。
もし自分が子育てをする状況になっても、それを仕事上もハンデに感じずに働ける環境が魅力に当時は思っていた(今は職場に何かを期待したりしない。笑)ので、そのことについて現状を聞いてみたが、えっさんが期待したような回答を得ることができなかったのだ。
女性が多く、働きやすいイメージがある化粧品メーカーも当時は(今もやや)かなり男性社会で、管理職はほぼ男性という現状だった。その人事担当者もそうした現状を打開したいと思っていたようだった。
えっさんががっかりしている様子を察したのか、ヘッドハンターの二人(ともに子どもがいる)が次のような話をしていた。
女性は子育てもして、家事もして、仕事があればその役割も担えるので、心から尊敬しています。
我々男性には出来ないことです。男性は呑気なものですよ、子どもがいても夜遅くまで仕事して飲んで帰ってきて、休日も子育ての邪魔をしないようにこっそりとゴルフなんかに行ったりして生活は変わらないわけです。うちの妻も働いているんですが、子育ても仕事も両立させていて尊敬しています。
でも、女性にしか出来ない出産を経験すると、どんな女性も母性でそれが出来てしまうんですから。
我々男どもは、稼ぐぐらいしか能がない。女性にはホント頭が上がらないんですよ。
何のフォローにもなっていなかったが、これが10年前の男性の「家事」「育児」の意識の実に悲しい現実だったのではないだろうか。
「女性だから両立できると思っている。男性にはそれが出来ないので、女性を尊敬している」という当時もだが、今振り返って違和感しかない発言。
こんなとんでも発言が普通に出来てしまう10年前の意識からすると、今はまだまともなのかと思えてしまうくらいだ。
・「育児」の対等とは?
これは共働きに限った話ではないと思っている。
たとえ、夫婦のどちらかが仕事をしていなかったり、仕事をしている時間が短いとしても、どちらかだけが「育児」をほぼ担うというのはバランスを欠いていると思うのだ。
もちろん、どちらかが子育てがめちゃくちゃ好きで、楽しくて、体力もあって睡眠不足も全然大変じゃない!むしろ、私に育児をやらせてくれ!というなら比重はどちかに偏りがあっても良いのかもしれないが(あまり聞いたことはないが)。
そうではないなら、夫婦ともにハッピーに生活をするためにも「家事」「育児」ともに対等であるべきだろう。
さらに言えば、母子/父子家庭、祖父母/施設での生活、あるいは共同体での生活などなど色々な「育児」の状況がある。夫婦間だけの単位ではなく、みんなが対等に子どもを育ているということが当たり前の感覚になったら嬉しいよね!と思う人が多いのであれば、きっとそんな社会も実現できると思うのだ。
では「対等」とはどういうことを意味するのだろう。
結局、「育児」への意識に変化があっても、育児に割ける時間の問題というのは、まだ存在するのが現実だ。
【Before】
夫が仕事をしている間は、えっさんは育児休業中なので日中は子どもと常に一緒だ。
夫は仕事中の寝不足を懸念して、夜は子どもが泣いていても一切起きない。
えっさんは言う「たまには、子どもと二人で寝たらいいじゃん。えっさんもゆっくり眠りたいわ」
夫は言う「次の日、仕事なの。仕事がなかったらいいよ。えっさんは子どもが日中に寝ている時、一緒に昼寝できるでしょ」しかし、夫は休日も子どもと二人では熟睡を妨害されるので、一緒に寝ようとしない。
えっさんは思う。「対等」ではない!と。
【After】
夫が仕事をしている間は、えっさんは育児休業中なので日中は子どもと常に一緒だ。(ここまでは同じ)
夫は仕事中の寝不足を懸念して、6時間の睡眠は確保したいと、えっさんに相談。
えっさんは了承し、夫は子どもが寝てから自分の自由時間を作り、普段より早く23時には就寝。
6時間睡眠を確保したら朝、5時以降は子どもがぐずったら夫にバトンタッチ。
休日はえっさんと役割を交代。えっさんが自分の作業をしている間は、夫は子どもと常に一緒。
夜寝るときも夫が子どもと一緒。えっさんも6時間睡眠を確保できたらそれ以降は、夫と交代。
これなら「対等」だわとえっさんも納得。
こんな感じだろうか。
時間の比重というのはその家庭や生活環境で異なると思うので、現実的に「家事」「育児」に割くことが出来ない時間がある場合、「対等」と思える自分たちなりのバランスをその都度、見直していったらいいのだ。
「育児」に対する感覚は、世の中の変化と同様にどんどん変化していく。
ポジティブな変化もネガティブな変化も、どちらもあるだろう。
どのような変化があろうとも、少なくとも育児に関わる(夫婦間をはじめとした)最小単位においては「育児」が対等である世界を子どもには生きて欲しいと思う親世代が多いのではないだろうか。
そのためにも、我々親世代から誰かが犠牲になったり我慢することなく、「対等」と納得できるように「育児」を担い、ちょうど良いバランスを築いていくプロセスをありのままに子どもたちに見せていきたいものだ。
子どもたちが自分の家庭を築き、子育てをする頃には誰かが「家事」なり「育児」なりを我慢したり、犠牲を払ったりして担うことで、負担に感じることがない世界になっていてほしい。そのためには、まず我々親世代から自分たちなりの「対等」なバランスを調整しながら築いていく、そんなプロセスを子どもにもありのままにみてもらえたらいいな〜。