記事内にPRを含みます。

ゴッホを有名にした女性が、母親であることにも富があることにも満足せず、38歳から追い求めたものとは?

・ヘレーネが絵画収集に目覚めるまで

前回はゴッホ展に息子と行った話をブログで書いた⬇︎。

今回のゴッホ展は、本日のブログの主人公である収集家ヘレーネ・クレラー=ミュラー自身の物語にもフォーカスをあて、彼女が集めたゴッホをはじめとした絵画のコレクションが展示の中心となっている。

前回のブログにも少し書かせてもらったのだが、彼女は4人の子どもの母親で、オランダで最も成功した商人の妻(彼女自身はドイツ人)でもあった。そんな彼女が熱心に美術の収集をはじめたのは38歳のとき。38歳と言えば今のえっさんと同じくらいの年齢。それまで、近代美術には何ら接点がなかったそうだ。

そんな彼女の父親は、貧しさから抜け出すために会社を興し、一代で会社を大きくした人物だった。彼女は小さい頃から経済的な成功や自分の希望よりも会社を優先するように育てられた。
しかし、彼女自身は芸術や文化に興味をもっており精神的なことを大切にしていた。また、能力もあり高校進学時には教師になりたいと思っていた。しかし、親から反対・否定されて良き妻になるための学校に入学させられ、父親から結婚を迫られた相手と18歳のときに結婚をした。
その後は子宝にも恵まれ、夫の事業はどれも成功をおさめ富を得ていたが、自身の大病をきっかけに彼女はそのどちらにも満足をしていないことに気づいたのだ。彼女の根底には「何か足りない」という思いがあり「よりよい自分」になりたいという想いを抱えていた。

彼女は37歳のときに娘を通じて美術教師で、美術の目利きであったヘンク・ブレマーと知り合ったことをきっかけに美術品を集めるようになる。彼が大事にしていたのは、作品が「精神的なもの」を伝えているかどうか
もともと精神世界に関心が高かったヘレーネは、精神的な美術理解にのめり込んでいくようになる。
ブレマーがゴッホを高く評価していたこともあり、ヘレーネはゴッホの書簡を読むことでゴッホに心から惹かれるようになった。(ゴッホが残した手紙は820通ある)
そして、彼女がゴッホを集めたのは個人的に魅了されたからだけではなく、美術界では女性に発言権がない時代において、これまで小さなサークルの仲間うちでしか知られていなかったゴッホを世に広めることが彼女のコレクターとしての名声を高めることを予見していたのだ。

・ゴッホに癒され、ゴッホによって名声を手に入れる

彼女は宗教上の考え方の違いで親とも長い間、衝突していた。また、彼女は子どもとも精神的なつながりを求めていたが、3人の息子は経営の才能を持ち合わせていないだけではなく文学や哲学にも一切の関心をもっていなかった。さらに唯一、能力的に可能性を感じていた娘は、母親が成し得なかったことを自分に期待されているというプレッシャーから、母親が求めることと反対の道を選んだ。また、その後もヘレーネと20歳下の会社の社員との親密な手紙のやり取りに娘はいら立ち、ますます関係性が悪化していった。

そんなとき、ヘレーネは検査で切除しなければ死の危険があるしこりが見つかった。この手術は大掛かりなものだったがこの手術を乗り越えたことで彼女は自分のためだけではなく、将来の世代のために絵を遺そうと決心したのだ。
美術がもつ精神的な慰めを誰もが体験でき、写実主義から抽象へ美術がどう変化したのかを理解できるような美術館』を創り上げるという目標をもつことができたのだった。

こうして、彼女の生涯を紐解いていくと、裕福な家庭で育つが自分が大切にしていることを親からは認めてもらえずに非難され、自分が希望したキャリアを閉ざされたこと。そして、18歳にして親の決めた相手と結婚するという不本意な道を歩まざるを得なかったこと。
また、子宝には恵まれるが子どもとは相性が合わず、唯一自分とも似た特性をもち期待をしていた娘との関係性はどんどん悪い方向に進んでいき不和が深まっていったこと。
多くの富を得るが、成金的な裕福さは住んでいた土地の貴族階級からは嫌煙され、社会的に孤立することも経験し、さらに自分自身は富を顕示することに興味はなかったこと。
そんな状況の中で、自分が生きるか死ぬかの病気を患ったとき、彼女が大切にしたかった精神的な世界、精神的な慰めを絵画、特にゴッホの絵の中に見出したというのはごくごく自然なことにえっさんには感じられた。

彼女のコレクターとしての大胆なキャリアチェンジと、将来の世代のために『文化的モニュメント』としての美術館を建てようとビジョンを掲げたこと。それは、こうした彼女自身の葛藤から生まれたものなのかもしれない。

彼女はその後、戦争を経験しドイツ人向けの戦傷病院で働きはじめる。その時にオランダに住んではいたが自分はドイツ人であることを強烈に意識することになった。しかし、ドイツではなくオランダに美術館を建設することで、彼女の仕事が、この時代の偏見や暴力などを超えたところにあるということを示したかったのだそうだ。

・「この美術館は悲しみから生まれた」

美術品を購入するには今も昔も多くの資金が必要となる。夫の経営する会社は戦争特需によってさらに発展を遂げたことで、彼女はさらに多くのコレクションを手に入れることになる。
彼女は美術館の建設に多くの時間とお金を費やすが、ようやく工事がはじまり形になろうとした時に会社が破産の危機に瀕し、工事は中止となってしまう。
夫は会社の急速な発展に伴いリスクの高い投資にも積極的になったが、戦争が終わると多額の損失を抱えることになったのだ。

しかし、ヘレーネの経済的な危機に反するかのように彼女が集めた作品自体の名声はどんどんと高まっていった。作品を貸し出して欲しいという依頼も多く、ニューヨークでのゴッホコレクションの展覧会は入場料を支払い、展示室に入ろうとする人たちに警察が出動するほどだったそうだ。

彼女はなんとか美術館の建設だけは実現させたいとオランダ政府にかけ合い、コレクションをオランダ国家に寄贈すると提案した。ヘレーネのコレクションが世界的に評価されたことを受け、彼女のオランダ政府への働きかけは功を奏し工事は再開された。そして、ヘレーネが病死する前の年に美術館は完成し、彼女は館長に就任する。はじめの構想とは違う建物にはなったが、彼女がビジョンとして掲げていた『文化的モニュメント』を建てることができたことに満足したのだった。

彼女がゴッホと同じようにビジョンをもって自分の仕事に取り組んだことで、多くの困難があったものの彼女は自分の仕事を成し遂げることに成功したのではないだろうか。
えっさんは、ゴッホ展の中で彼女のストーリーを見届けたとき、何だかグッとくるものがあり泣きそうになってしまった。

私たちが今、こうしてゴッホの絵画に心を奮わせ、また慰さめられるのは、ゴッホ本人だけではなく、ゴッホと巡り合った先人たちの人生と、並々ならぬ想いが繋いでくれているのだと思うと心打たれるものがある。
ヘレーネの他にもゴッホを世におくり出す使命を、ゴッホの最愛の弟であるテオは抱えていた。
しかし、ゴッホの死から半年後に弟のテオも後を追うようにして亡くなったため、その意思を引き継いだテオの妻であったヨーの活躍にもゴッホ展では少し触れられていた。1歳になろうかという子どもを抱え未亡人になったヨーが、懸命にゴッホを世に広める仕事を引き継いでくれたことも今につながっているわけだ。

ヘレーネや、ヨーのようなビジョンと使命感をもった女性が、人生をかけてゴッホの作品を支えてくれたという事実は、ママのキャリアを考える上でも勇気づけられるものがあるのではないだろうか。

今日の子どもが豊かに生きるヒント!

子宝に恵まれても、経済的に豊かでも何か自分の人生、キャリアにおいて足りないと思うことは欲深いことだろうか。ヘレーネのキャリアを紐解いていくと、そこには1人の人間として悩み苦しみ、子どもとの関係が悪化しようが、経済的な危機に瀕しようが自分のビジョンを貫き、その仕事を死の直前で成し遂げた等身大の人間の姿をみることができた。ママになっても、ゴッホの作品を世に広めた彼女のように人生における自分のビジョン、使命について嘘偽らずに生きていきたいものだな。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA