・子育てに専念する親御さんのコメントに心が動いた!
最近、えっさんが何気なく「子育てに関する記事」を読んでいて、それに対するコメントに目を通している中で、一際えっさんの胸に響いたコメントがあった。
子どもが学校から帰ってきたら「お帰り」と元気に伝えて、学校での話に真剣に耳を傾ける。子どもが好きなおやつを色々と手作りで作って出来たてを食べてもらう。いつでも気持ちよく過ごせるように家の中をきれいに整えて、子どもが「美味しい!!」とたくさん食べてくれる料理を朝、夕と毎日工夫して作る。
決して経済的に余裕があるわけではないし、仕事をしていないことへの焦りもあるけど、そういう毎日を今は大切にしたい。
えっさん自身は、何度も言うようで恐縮なのだが「仕事をしている/していない」でママを「専業主婦」「ワーキングマザー」ってな感じで分けてしまうような考え方は好きではないし、仕事をすること自体を特別視しないほうがいいと思っている。
なので、こちらのママのコメントに対しても「仕事をしていないことに対して、焦る必要なんてないんだよ」とも思うが、それ以上にママさんのライフスタイルに「あ〜、そうだよな。そういう生活の選択肢もあるんだよな〜素敵だな〜応援したい!!」と単純に心打たれたのだ。
日本社会の構造上の問題もあって子育て世代の親も全員「働くべし、さもなければ教育資金も老後も危うし!」という結構なプレッシャーを知らず知らずにかけられているということにも改めて気づかされたえっさん。
えっさんも、子どもが小さいうちはこのコメントのママさんのように、子どもが学校から帰ってきたら「お帰り〜!!今日は大好きなお菓子を作ったよ〜。一緒に食べよう〜♪」なんて声をかけてあげたい。
それに、勉強も塾とか行かせるんじゃなくて一緒にリビングのテーブルで向かい合って、分からないところがあれば一緒に考えたり学ぶ楽しさを教えたり、子どもの顔をみながらゆっくりと話を聞いてあげる時間を充分にとりたいな。
自分に特殊な技能や知名度、世帯での余裕ある資産・収入がないと確かに経済的に余裕がある状況で上記のような生活をするってなかなか難しいところはある。
けれど、えっさんの感覚では子どもが10歳くらいまでは一時的に世帯の経済的なゆとりを犠牲にしても、子どもと向き合う時間をたっぷりともてるライフスタイルを一番に生活環境を整える選択をしたいと思っている自分の本心にも気づく。
・・と言っても、えっさんは性格上の問題もあって仕事は好きなので、全く仕事をしない生活は選ばないだろうが、子どもが学校に行っている間とか、寝ている間に仕事をするスタイルを確立したいと常々思っている。
ライフスタイルを選択するということは、選択をしなかったライフスタイルを選ばない・捨てるということも言える。
けれど、そのライフスタイルだって選んだものが「違う!間違った!」と思えば、いつだって軌道修正したらいいのだ。
えっさんは子どもや自分の人生に「こうあるべき」ということを可能な限り排除してその時、その時のベストやベターを柔軟に選べるように頭も身体も軽やかな状態でありたいな〜と思うのだ。
・計画した通りにいかないのが人生!
ちょうど前述のコメントを読んだ同じタイミングでアマプラの「モダンラブ シーズン2」を観ていた。
「第6話 こじれた夫婦の待合室」のストーリーで、男性が自分の人生の計画について妻の浮気相手の夫の妻の女性と会話をするシーンがあった。
「子どもを作る。そして5年後にもう一人。家のローンを15年で返して、氷河を見に行く」という計画を話すのだ。
それに対して女性が「人生は計画通りにはいかない」「子どもができたら諦めもつく」と返すのだ。
ストーリーの最後のほうには、男性が自分が計画した人生のしがらみから自らを解放していく象徴的なシーンがあって、前述と同じ女性に「計画は?」と聞かれて男性は「もういいんだ」とすっきりとした表情で答えるというストーリー。
目標をもって生きるということは活力となるが、計画は思い通りにいかないことでストレスになったりするので、人生を自分の中で緻密に計画しないほうが生きやすいのは間違いないだろう。
えっさんは、このブログを書いて半年も経たない期間でも自分の考えが柔軟に目まぐるしく変化しているな〜と思う。
実際に行動してみて「思っていたのと違った」となっても、それに合わせて自分の考えていた選択肢を変更していくことへの抵抗感が薄れていく感覚があるのだ。自分の中でこだわっていたことがどんどん小さくなっていくのだ。
アマプラのストーリーの中の女性じゃないが、子どものいる生活を過ごしていると1日だって自分の計画通りにいかないことが日常になってくる。そうすると、「(計画通りにいかなくても)まぁ、いいかぁ〜」と自然と思うようになり、肩の力が抜けていくことを感じる。
自分ごときの力ではどっちにしたって計画した通りにはいかないのだ。そうであるならば、目の前の計画外の出来事を楽しむほうが人生は豊かになるのではないだろうか。
・そんな人生をとことん楽しむ!
仕事を通じて知り合ったとっても気が合う仲間と最近、LINEをしていて「人生においては一旦、収入なんかの経済的なことは袖にして、自分がやろうと決めたことをとりあえずやってみるという期間があってもいいのではないか!?」という考えで一致した。
そんなわけでえっさんは、最近 フルタイムでずっと働くというライフスタイルを捨てることにした!
正確に言うと雇用形態や、収入にこだわらないことにした。
ただし、子どもの進路希望や突然の出来事や事情が生じて、「フルタイムで働かなくてはどう家計をやりくりしたところで生活を維持出来ない」といった切迫した事態が起きるのであれば、自分の働き方の希望なんていうものはとりあえず置いておいて、「いつでもがむしゃらに働くぜ!!」という覚悟はもっていようと思っている。
しかし、現在は幸運にもそうした事態になっていないため、子どもが小さいこの期間は1日、1日の何でもない日々に自分の意識を集中できる生活を選択しようと思うのだ♪
そんな風に自分が完全に今までのライフスタイルを捨てられないことでモヤモヤが残っていたのだが、思い切って頭の中を切り替えてみると、この先については不安感というよりは「どんな思いがけない出来事が起きるのだろう?」と生きていくことへの冒険心が湧いてくる感覚がある( ^∀^)
学生時代から仲がいい友人が”人生の冒険”をテーマにしたメディアを配信していてとても素敵なメディアだな〜と思っていつも友人から刺激をもらっているのだが・・・えっさんの中でこれまで「冒険」と言うと刺激的なジョブであったり、旅であったりと何かに挑戦するという発想が真っ先に頭に浮かんできた。
しかし、ここに来て人生の「冒険」というのは1日として同じ日はないという前提をもとに、自分が大事にしたい価値観を大事にした生活を送りながらも、変化が訪れたらそこに合わせてまたライフスタイルを大胆に変えていくことを恐れない生き方なのではないかという発想が生まれてきたのだ。
そういう意味で、人生は誰にとっても冒険だ。計画通りにはいかない人生をとことん楽しもうではないか。
現在、選択しているライフスタイルは自分の今、大切にしたい価値観を振り返った時に本当に維持すべきものなのだろうか。何か計画から外れることを恐れていて頑なになっていたりはしないだろうか。人生は予め計画できず、また誰にとっても冒険だ。今この時に集中し楽しむために人生を計画することをやめてみると随分と心身ともに軽くなるかもしれないな〜。