記事内にPRを含みます。

「え?この番組知らないの?みんな知っているよ!」というやりとりが消滅する世界へようこそ!

・子どもにTVを観せるのか問題

えっさんが今、通っている幼児教室では0歳児にTVやスマホを観せることに何らメリットがないということで、観せることはNG行為とされている!
そんなわけで、えっさんも日中の子どもが起きている時間にTVやスマホを観ることがあまりないわけだが、最近お勉強中のモンテッソーリ教育の東京にあるスクールのブログでも、やはり同じようなことが書かれていた⬇︎

なるほどな〜、確かに相手に何か伝える時の表現の豊かさは同じ番組を観ることでは学べないのだろうな〜とブログを読みながら納得していた!

えっさんの小中高時代は、わりとドラマやアニメ、歌やお笑い番組なんかが共通の話題となることがあったような気がするが、今でも子ども同士でTV番組を巡って「え、知らない?」「観てないの?」「それって遅れているぅ」というようなやり取りは存在するのだろうか。

ぜひ今、小学生くらいの子どもがいる親御さんの生の声を聞いてみたいところだが、統計データとしてはスマホなどでの動画の視聴時間は伸びているが、TV番組の視聴時間自体は減っているという予想通りの結果が出ている。
クラスの半数以上の人が観るようなチャンネルは減っている実感は感覚的にあるのだが、TV番組に限らず動画も含めて同じものを観るといった同調圧力はまた別の形でも表出していたりするのだろうか

・「え?この番組知らないの?」という同調圧力

コンサルティングの仕事で、とある中小企業に出向をしていた時のこと。
それまでえっさんが所属していた企業では昼休みに同僚と集まってご飯を食べる習慣がなく、みんな仕事の合間にバラバラに自席でご飯を食べることが多かったり、一緒にご飯を食べることがあっても、話題と言えば仕事の話か最近の近況なんかが中心だった。

しかし、その出向先では、社員の人と打ち解けるためにもはじめてお昼休みに休憩室でお弁当を広げて、仕事以外の話をしながら60分の休憩をきっちりと取るということを経験したのだが、今思い出してもかなりしんどい時間だった。

そこでの話題の中心は前日観たドラマやTV番組の話で、一通り昨日の感想を言い終わった後は、そのドラマの出演者の過去のドラマの話へと永遠に話が続いていくという、なんというか自分が全く知らない言語で話をしている人たちの中にいる感覚を味わった。
例えば、話を振られて「観てないです」と言ったとしても「こんなドラマで」と誰かが説明してくれるわけでもなく、誰もが観ていることを前提に観てない人のことはスルーされて話が進むのだ。
そのため、TVを観ていない人が何も口を挟めない雰囲気ってこんなにしんどいのか〜と小中時代以来の同調圧力を感じた!!

もし転職の面接で「これまでコンサルタントして一番大変だった経験は何ですか?」と聞かれたら「出向先企業でのお昼時間です」と答えたいくらいだ。

大人になってもなお、この同調圧力がある空間から別の場所に行きにくいことを苦痛に感じるのだから、これがクラスの空間として逃げられない子ども時代だったら「あ、同じ番組観ないと!!」ってなるのは自然な感情なのかもしれない。
けれど、今を生きる子どもたちにはこんな思いはして欲しくないし、観たくもないものを観なくてはとプレッシャーに感じる同調圧力が働く世界は消滅して欲しいと切実に思う!

・多様な世界とは、誰も同じ番組を観ることを想定しない世界?

えっさんが別に願うまでもなく同じ番組を観ること自体が今後、少なくなる流れしかないわけだが・・・

エンタメだって、キー局以外にWOWOW、AMEBAやNetfixをはじめとした各種動画配信サービス、Youtube、TikTokにインスタ、さらに今後も出てくるだろう安価で多様な動画コンテンツが山ほどあるわけだ。

何か動画が観たい人は、その中から自らの興味に合わせて選択をするわけだから、連続性があるものよりは「ねぇ、この動物の動画可愛い!!」「このコント動画面白い!!」などといって瞬間的にシェアすることはあっても「あ、それ知っている!みんな知っているよね?」と言った話が日々続くことは想定しにくいのではないだろうか。

もちろん、今後も特定のアニメやドラマなんかがムーブメントとなることもあるだろうけど、そこに「え、まだ観てないの?」という圧力がかからない時代もやってくるだろう。
なぜなら、みんなが違うものを日々観ているのが当たり前の感覚になっているからだ。
前提として「同じものをみんな観ているよね〜」というコンセンサスがないのであれば「観てないの?みんな知っているよ?」という発言は生まれない。

オリンピックにかけて最後を締めるのであれば、多様性が尊重される世界というのは、同調圧力が働かない世界とも言えるのではないだろうか。

それはもちろんTV番組や動画に限った話ではないのだが、子どもたちにも多様性が浸透していった結果、例えば小学校のクラスで昼休みの話題は、今自分が夢中になっていることを相手に豊かな感性で伝え、それを伝えられた相手は興味が違うことを面白いと思いながら、相手の興味に関心を寄せ尊重するというキャッチボールがお互いにできるようなそんな時代がやってきたら素敵だな〜と個人的には思うのだ!!

今日の子どもが豊かに生きるヒント!

子どもが保育園や幼稚園、小学校で話題についていけなかったら可哀想という理由で、TV番組やスマホ画面を観せたり、エンタメスポットに連れて行くという発想がなくなる時代がもうそこに来ている!
もし親世代が真摯に多様性と調和に向き合い、子どもたちにもそれが浸透するのであれば、それは誰もが同じ場所に行き、同じものを食べ、同じように娯楽を楽しむという世界ではないはずだ!それはすなわち、子どもが同調圧力から解放される道を照らしてあげることにもつながるのかもしれないな〜。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA