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「東大王」「ドラゴン桜」から日本の「東大」信奉を問う

・「東大」ブランド信奉がはばかる日本社会

「東大」というのは、未だ日本においては非常に高価なブランドだ。
「東大」は、2021年現在においても特定の人の学歴コンプレックスを刺激する象徴でもあるかもしれないし、成功(定義は置いておいて)の象徴と考える人もいる特異なブランドだ。

えっさんの地方の旧帝大出の親も、新生児の孫の顔を眺めながら「この子は賢そうな顔をしている。これは将来、東大だな〜」などと半分冗談、半分本気で言ったりするのだ。

東大は日本において、長らく特に地方の学生にとっては最高峰の大学であり、ある種、京大以外の他の旧帝大や国立大、有名私大を寄せ付けない別格大学として親や先生、学生からも認知されているのではないだろうか。

しかし、都内に視点を移すと開成や桜蔭といった都内進学校出身の学生にとっては自分たちの活動圏にある近所の大学。周りの先輩や友人たちがたくさん入学している大学とも言える。

また、「QS世界大学ランキング2022」では世界23位の大学であり、比較的偏りなく良い大学があるとされるアメリカに対して、日本は中国の「清華大学」「北京大学」と同様に、「東京大学」「京都大学」といった2大学にブランド力が偏っているのが特徴だ。

令和の時代でも未だ就活時もそうであるし、就職をしてみても「東大」出身者がマイノリティな企業であれば特に「東大」というだけでレッテルを貼られ、変に敬遠されたり、または過剰に期待されたりすることもある。

そのブランドがもつ影響力は未だ多くの日本人にとって健在というわけだ。

・「東大」は成功の証なのか?

「そもそも成功とはなんだろう?成功の定義って?」とえっさんは疑問に思う。
何がその人の人生における成功かなんて、それこそ多様であるべきだと思っているからだ。
外から見た成功の認識が、本人にとっての成功の認識だったかなんて誰にも分からないのではないだろうか。
そうであるならば、誰かを成功者として外側から持ち上げる風潮に違和感があるし、今も誰かを「この人は成功者です」と紹介されると何だかゾワゾワしてどう返答していいのか困惑してしまう。

こんな感じ。

お付きの人
お付きの人

こちらの方は東大を出た後、起業して財をなした超富裕層の成功者なんですよ。ご存知ですよね、あの有名な●●サービスを創った人物なんですよ。えっさんも成功者から学ぶべきことは多いと思いますよ〜

えっさん
えっさん

‥‥‥そうですか、あの●●サービス。って‥‥‥あの、申し訳ないです。有名にもかかわらず、存じ上げず

先日、WEB配信の経済番組で司会者が「ここにいる全員が成功者なんですから」と自分も含めて紹介していて、その番組をみるのをやめてしまった。なんか、そういう「成功=有名かつ自分の力で一定の財を成した」前提の中で進行する番組は「価値観が偏ってそうだわ〜」と思ったからだ。

タイトルに話を戻すと「東大王」と名前がつくテレビ番組や、偏差値50くらいの平均的な学力の生徒が東大を目指すドラマの視聴力が良いのは、東大が長らく「成功者」としてのイメージを定着させてきたからだと思う。

「『学歴なんて関係ないよ』って言って許されるのは東大を出たやつだけだ」の発言だったり、「東大以外の大学は、日本の大学で行く意味がない」と言う東大出の著名人だったり、「東大王」だったり、自分の子ども全員を東大に入れた母親だったりが特定の人たちから多くの支持を集めるのは、それだけ日本の中で東大が「成功」と密接に関連付けられているからなのではないだろうか。

・「東大」表札主義から脱却した先の未来

えっさんは感覚的に、東大に入ること=成功と強く関連付けられる社会というのは楽しそうな感じがしないのだ。

就活サポートをしていて思うのは、入った後どんな思いや課題感をもって何をしてきたのかを聞いて、そのプロセスと結果から学んだことを活かして、次に進もうとしている学生の魅力を表現するのはとても簡単だということだ。
一方、入ってから何かに懸命になったり、チャレンジしたりしていない学生の魅力を表現するのはとても苦労をするということ。
これまで多くの東大生を支援もしてきたが、入学後の経験値には他の学校の学生同様に大きな差が生じている。

東大には尖った学生も多いし、変わってると周りから思われる人が許容される懐の深さもあると思うし、才気溢れる先生たちも集まるし、えっさんが敬愛する人も東大出身者だったりする。
えっさんは、東大や東大生に対して、何かマイナス感情をもっているわけではない。
ただ今後、東大に期待したいことはある。
それは、もっと偏差値では測れない尺度で、日本の大学の先頭をきって多彩な人材の受け皿になり、大学に入ったあとの学生の活動量を圧倒的に増やしてほしいということだ。

えっさんが問題だと思うのは、「東大」表札主義から日本が未だ脱却できていないことなのだ。
脱却した先には、今よりも楽しそうな社会が待っているはずなのに。
具体的には、地方も都市部の学校もそれぞれに固有の魅力があり、異なった面白い世界がある社会だ。

国内だけではなくグローバル規模で「この学校でこの領域を深く学び、会得するのは最高にエキサイティングなんだ!」「この学校には、すっごく変人なんだけど、世界を本気でより良く変えるって考えているやつらがたくさんいるんだ!」と評判が評判を呼び、「ダイバーシティと言えば、日本の学校で学ぶこと」というイメージが定着する社会になれば、私たちはもっと自分たちの国に希望を抱けるのではないかと思う。

年齢も国籍も関係なく、学びたいときに学びたい人が本気で学び、新卒一括採用なんてものもなくなり、ボーダレス化が進む時代の先駆者になる、そんな社会を子どもたちにみせてあげたくはないだろうか

今日の子どもが豊かに生きるヒント

今を生きる子どもたちがボーダレスに学べ、多様性が許容される世界を我々親世代が諦めてはいないだろうか。表札主義の社会に終止符を打てるのは、自分たち一人一人の中の東大信奉の意識を変えていくことからだ!だって、子どもには希望を抱ける国で思いっきり学んで欲しいからね。

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