・はじめに
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この頃、私立小学校の個別説明会に参加させていただく中で、その学校が大切にしている「子ども像」や「人間力」についての講話を拝聴する機会も多くなった。
そうすると、話を拝聴する中で改めて自分事として「子どもには、どんな人に成長してもらいたいのだろう」と自問自答し、さらに深めて考える機会も同時にいただいているな〜と感じる。
えっさんは前回のブログでも少し触れたように、子どもには自分にとっての幸せについて理解を深め、自分自身のことを心から大切にできる人になってほしい。そして、自分に備わった能力(善さ)を最大限に活かして他者の喜びや幸せのために力を尽くせる人に成長をしてほしい。と思っているのだが、あなたは子どもにどんな風に成長してほしいと考えているだろうか。
また、自分自身の人に対する日頃の接し方についても振り返る機会にもなり「子どもにはもちろん、人に対する愛情については与えることにこれで充分ということはないよな〜」と思ったりもした。
昨年もこの時期には、大切な友人に向けた思いについてブログに残したのだが(参照ブログはこちら)、今年も同じように「いい人間関係」について、最近考えていることをブログに残しておこうと思う!!
先日、仲良しのママ友から仕事上の人間関係について相談を受けた。
昨年から新しく転職した会社の直属の上司が、はじめてトライする仕事にもかかわらず、その仕事のリーダーとして無理難題を押し付けられ、それをアウトプットする機会があった会議の場で「論外です!」などと事情を知らない他の社員の前でも全否定されたというのだ。その上司との関わりの中で「仕事を辞めたい気持ちがある」という話だった。
えっさんもかつて巨大組織の中で中間管理職をしていたとき、えっさんの当初の上司を故意に失脚させて自らがそのポジションに就いた人に、そうした自分の容量を遥かに超える仕事量(残業も過労死ライン2倍の200時間/月超)と、その仕事のアウトプットについても攻撃的な言動をとられ、心身ともに命の危険にさらされたことがあったのだ。
人が自分の思うようにならないのであれば否定をしたり、脅したり、攻撃をしたりする人というのは、コンプライアンスへの意識が高まる現代においても、一定数存在するのかもしれない。
人とやりとりをする中で自分の言動を縛ったり、コントロールをしようとしてくる人や、自分の心が傷ついたり、気持ちが沈んだり、疲弊したりするような人とは距離を置ける状況なのであれば、距離を置いたほうが精神衛生上は間違いなくいいのではないかと思う。
では、自分自身がそうした人にならないために。幸せないい人間関係を構築し続けられるように。子どもにも伝えたい「いい人間関係」とはどんなものなのだろうか。
・「人」を大切にするとは!?
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普段、全く知らないはじめての相手。例えば、食事のときに接客を担当してくださった方とか。
そうした初対面の人から「自分のことを大切にしてもらっているな〜」という接遇や言動を受けると、そのお店自体も好きになったり、ファンになってしまうということもあるのではないだろうか。
例えば、自然な好意的な笑顔を向けてくれるとか。自分の飲食の好みを気にかけて寄り添ってくれるとか。自分の視線の先に気づいて、自分が興味をもっていることに関心を向けて丁寧に説明してしてくれるとか。
料理を食べる反応をよくみてくれて、適切な問いかけや肯定的な言葉をかけてくれるとか。わくわくするようなサプライズを用意してくれているとか。
そう、人を大切にするというのは、まずは自分から「あなたのことを肯定的に気にかけている。大切にしている。」という姿勢を自らの言動で示すことからスタートするのではないだろうかと考えるに至ったのだ。
人から自分の存在そのものを大切にしてもらうとじんわりと心があたたかくなるし、相手にも思いやりや感謝の気持ちを返したいという思いが強くなるな〜と日々人と接する中で感じる。
また、自分が大切に思う人なのであれば、例えば相手と自分の意見が大きく異なっていたとしても、小さな子どもであっても、相手が大切にしていることをそのままに受け止め、対等に尊重する姿勢を常に忘れてはいけないな〜とも思っている。
家族や友人といった距離が近い人ほど、ときに自分自身の甘えや期待が大きくなり、自分の考えを通したい、あるいは理解してほしいといった感情が前面にでてきてしまうこともあるかもしれない。
けれど、距離が近いなら余計にそうした自分の感情がダイレクトに出やすいことを心に留めて、幸せないい人間関係を築き続けられるように「あなたのことを肯定的に気にかけている。一人の人として尊重し、大切にしている。」ということを相手に伝えること。伝えるための努力を怠ってはいけないな〜とも思うのだ。
・人間関係は常に「双方向」であるということ
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これまで特に仕事で色々な人たちと関わっていると、相手とやりとりをしていて自分の気持ちが上向かない。
あるいは、常に否定的なニュアンスを感じられる言動で自身のモチベーションを阻害される。
電話やメールをするのが、気がすすまない億劫な相手であるといった人とも仕事上では付き合っていかなくてはいけないシーンもあったりする。
こうしたやりとりは一見すると相手側に何かしらの非があるように感じてしまうものなのだが、最近は人間関係は常に双方向であるということを忘れないようにしている。
お互いの気持ちというのは仮に隠していたとしても、どこか相手にも通じているところがあると思うので、自分の気持ちが上向かない=相手も自分と連絡することに気持ちが上向いていない。ということを肝に銘じておこうと思うのだ。
えっさんの友人に、いつもLINEでやりとりをするときにこちらが送った内容に対して、毎回、同じ程度の熱量と文字量で返信をしてくれる素敵すぎる友人がいる。
そして、その友人はえっさんの連絡に対して「あなたの話に、私は興味をもっているよ!」ということが伝わる前向きな、あるいはこちらの伝えたいことを自然と引き出してくれるような問いかけないし質問を適切なタイミングでしてくれるのだ。
その友人のLINEの意図性については尋ねたことはないのだが、その友人とLINEをしていると、ついつい楽しくなってLINEが途切れることなく続いてしまうことが多い。
「①話題への興味関心を自然に伝えてくれる+②より話題を深掘りしてくれようとしてくれる+③自分の考えや気持ちもオープンかつ建設的にしっかりと伝えてくれる」
この3つの要素が揃った双方向な心温まるやりとりを自分も常にできるような友人のような人になりたいな〜と強く思う今日この頃なのだ。
仮に自分がそういう思いでLINEをしても、相手が無反応あるいは拒否的反応なのであればその相手といい人間関係を築き続けることはなかなか難しいのかもしれない。
ただ、相手が自分のことを意図的に攻撃したり、傷つけようとしてこない限りは、自分自身は肯定的で建設的なやりとりができる人に成長していけたらな〜とは思ったりする(まだまだ未熟ではあるが)。
・「感謝」と「思いやり」を忘れない
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昨年のブログにも書いたのだが、自分が人から大切にしてもらえること、人としての自然な好意を向けてもえること。感謝の言葉だったり、サポートだったり何かを与えてもらえるということは、決して当たり前のことではないということについても、改めて心に刻んでおこうと思うのだ。
そして、相手から大切にしてもらえていると感じたなら、それに対して「感謝」と「思いやり」を決して忘れずに、その恩を返していけたらいいな〜という思いを年々強くしている。
えっさんは本ブログでも何度かご紹介しているようにライフワークとして若者やママのキャリア支援をボランティアとして無償で担わせてもらうことがある。
学生といった若い人を支援するときは特に対面で支援するときのコーヒー代含めた場所代はえっさんが支払い、時間も人によっては数十時間かけて相談にのることもあり、各種必要な書類の準備を手伝ったり、面接対策をしたりすることもある。
また、本業とは別に時間を作るため、この時間を捻出するためにときには自分の食事時間や睡眠時間などを削ったりすることもある。
ボランティアなので、当然金銭のやりとりは発生しないのだが、その支援をした人たちが就職や転職を成功させたタイミングで、自分の好意の中でお祝いのお食事会や仕事に役立ちそうな書籍なんかをポケットマネーからご馳走したり、プレゼントすることも多い。
そのプロセスの中で、逆に支援をしていた人からも素敵な手書きの長文のお手紙や色々な思いが伝わるプレゼントをいただく機会もあったりする。そういう双方向なやりとりをとても尊く感じているのだ。
けれど、中にはそうした支援後のお祝いの食事会なんかが終わった途端に、全く連絡がなくなる人もいるし、もっと、もっとと支援要請を際限なくされることもあった。
ライフワークは、別に何か見返りをもとめてやっていることではなく、自分が単純に好きでやっていることなので、ときに自分自身の存在を軽んじられているように感じたり、感謝されることがないことに対しても特別に何か思うわけではない。
ただ、そうした人とは自然と疎遠になってしまうことになるな〜とふと振り返ったりする。
そうしたプロセスを通じても、やはり「いい人間関係」というのは常に双方向であるということ。お互いがお互いに対する「思いやり」と「感謝」の心を持ち続けられるかどうか。そして、何より人としてあなたを大切にしているという姿勢を自らが丁寧に伝え続ける努力を怠らないことが大事なのではないのだろうか?と思うのだが、あなたは「いい人間関係」とはどのような人間関係だと考えるだろうか。
子どもには「いい人間関係」を自ら率先して構築できる人になってほしいな〜と思う。そう思ったときに「いい人間関係」について親としての考えをもっておくのは、親からまずは「いい人間関係」を自らが体現することで子どもに伝えるという意味でも大切なことではないだろうか。親子関係はもちろん、友人や仕事の人との関係性においても、心がぽかぽかとあたたかくなるようなそんな人との関係性が築けたらとても日々幸せなことことかもしれないな〜。