・ギフテッド教育って何!?
最近、ギフテッドという言葉をよく見聞きするようになった。ギフテッド(Gifted)とは、Gift(贈り物)が語源となっていて先天的に突出した才能をもっている人のことを言う。高い知性に限らず、高い倫理観や共感的理解などをもっているいわゆる天才を指す言葉だ。
ギフテッドは生まれつきのものであり、本人が選んだり親が早期教育などで後天的にどうにかできるものではない。ギフテッドとして国内で有名なのは、ギフテッドに関する書籍も出している大川翔氏⬇︎。
世界的には、ビル・ゲイツ氏や映画監督のクエンティン・タランティーノ氏がギフテッドとして有名かもしれない。
発達障害もそうかもしれないが、なかなかギフテッドと認定することも判定が難しいようで、カナダではギフテッドプログラムがあり、それを受ける認定試験もあるのだと記事に書かれていた。また、認定されたとしても日々の努力が必要だと明確に伝えていて、14歳で高校を卒業し5つの大学に奨学金付きで合格できたのも彼の努力の賜物であることも感じられた。
えっさんはこの記事の中で、大川氏のギフテッドプログラムの体験談や、実際に飛び級をして進学をした経験を読んでいて、彼が「セルフエスティーム」=「自尊感情」「自己肯定感」が大事であることをカナダで身につけたのが前例のないことを可能にした要因だと語っていたことが印象に残った。カナダの教育では幼児期から高校卒業まで、チャレンジすることそれ自体を褒めて、成功しても結果ではなく「努力の過程」を褒めることを徹底して繰り返すのだそうだ。
最後に、日本の教育の利点にも配慮しながらギフテッド教育の課題も伝えていたが、自分自身でもカナダのギフテッドの中学・高校生向けのプログラムを立ち上げるなど現在進行形のチャレンジ精神と行動力を感じることが出来た⬇︎
・勉強に限らない個人の特性
日本人には高校を卒業してから、はたまた社会人になってから個性を見つけたり、伸ばしたらいいと考えている人が他の先進国に比べても多いのではないかと感じることがある。
しかし、大川氏の事例からも分かる通り個性というのは生まれもって備わっているもので、ギフテッドに限らず全ての子どもが一人一人固有にもっている性質のことを言う。
その個の性質が学校生活ではもちろん本人が社会に出てからも強みとして活きる(そして、適応する)ように、本人の努力も大事にしながら、乳幼児期から成長の過程で日々個性を伸ばしていけるようにサポートすることが大事になってくるのではないだろうかと記事を読んで感じた。
最近、1歳4ヶ月になった子どもをみていると自分でこれやりたいとか食べたいとか、この絵本を読んで欲しいとか、こっちに歩いて行きたいとか、自分の意思がより強く出てきた。こうした意思表示の傾向も、それぞれの子どもで乳児期から違うはずで身体や言語の発達も個々で違うように、0歳からすでに個性が出ているな〜と実感している。
個性について世の中の傾向としては、知性とか知能とかいわゆる頭の良さであったり、勉強がズバ抜けて出来ることに注目が集まる傾向にある。しかし、音楽でもスポーツでも、芸術でも、それらの掛け合わせでもどんな分野のどんなチカラであっても子どもにどんな特性が備わっているのか、色眼鏡をかけずに見守りたいものだな〜と最近はよく思う。
以前ブログでも書いた⬇︎が、これからの時代自分たち親世代が想像しなかった仕事が生まれ、それがどんな価値を生み出すのか分からないのだ。すなわち、どんな特性が自分の身を助けるのかなんて誰にも分からないのだから、自分が好きで得意なことを伸ばせるように子どもをよく観察し、要所要所で勇気づけてあげることが親の務めとしては大事なのではないかと感じている。
・子どもの褒め方で気をつけたいこと
子どもの言動に対して勇気づける言葉かけをしようと日頃意識していると、子どもが何か出来たことがある度に「上手だね〜」をつい多用してしまうことにふと気づく。
この出来たという結果に対して、褒める行為自体は前述の子どもの努力をしたプロセスを褒める教育とは対極にある言葉かけとも言えるので、気をつけなくてはな〜と思っている!
では、努力の過程を褒める、肯定する言葉かけとは?具体的に、どんな言葉かけをしたら良いのだろうか!?
例えば、子どもが動物の絵を一生懸命に描いたときのシーンを思い浮かべてみよう。
そのときに子どもが自分としては頑張って描いたのだけど、お友だちと比べてもあんまり上手く描けたと思えていないとする。そんな時、親が何が描かれているのかも分かっていない段階で絵を見てすぐに「上手に描けたね〜」と声をかけたとする。
この絵を描いたという結果だけを褒める行為は、子どもが上手く描けたと思っていない中では特に「あ、こんなもので褒められるのか。じゃあ、この程度の絵でもいいか」「描いたら何でもいいのだな。とりあえず褒めてもらうために絵を描いておこう」という子どもの意識につながる可能性を秘めている。
プロセスを肯定するというのは例えばこんな感じだろうか。
「クレヨンの色を真剣に選びながら、集中して描いていたね。何を描いていたの?」「◯◯だよ」と答えてくれたとしたら、「◯◯を描いていたんだね。◯◯が描かれたこの絵のことをもっと教えて欲しいな^ ^」と言って子どもが頑張って描いている様子をありのままに肯定する。
子どもが頑張っていることに関心をもっていることを伝え、今取り組んでいることについて子どもが感じていることを自分の言葉で伝えてもらうような言葉かけを日常のシーンで試みてみようかなと考えている。
カナダのギフテッド教育の褒め方から、子どもの結果ではなくチャレンジ自体を肯定し、親はそのチャレンジしているところを見守っているよ!ということが伝わる声かけを日頃から心がけようと思った。そうした中で、子どもがチャレンジをすることを怖がらずに楽しめるようにサポートしていけたらいいな〜。
個性とは後天的なものではなく、生まれもってあるものだ。その生まれもった個性を伸ばすには、自己肯定感を育むような親の言葉かけも大切になってくるのではないだろうか。自己肯定感とは出来ても、出来なくてもあるがままの自分でOKと思える感覚のことだ。そして、ギフテッドの記事にもあるように個性を伸ばすには本人の努力も欠かせないため、子どもの努力自体を肯定するような言葉かけを日頃から心がけていきたいものだな〜。