・ルッキズムとは何か?
ルッキズムは「外見にもとづく差別」であり、特に「身体的に魅力的でないと考えられる人々を差別的に扱うこと」を指す。外見至上主義という呼称もほぼ同義として扱われる。
Wikipedia
最近、ルッキズムに関する記事をよく見かけるな〜。
有名なモデルさんがSNSにアップした画像に対して「太った」などと書き込みがあったことに苦言を呈したり、家畜と呼ばれるなどいじめられていた女性が努力して綺麗になりアイドルになった記事など。
そこで、今日は「ルッキズム」をただ批判するよりは、ルッキズムにより傷つく人がいなくなった世界について想像してみようと思う!!
そうは言ってもえっさん自身も容姿について関心を寄せてしまうこともある。
友人の子どもに誰からも「可愛い」って言われる容姿端麗な子どもがいるのだが、その友人の子どものように生まれてからずっと多くの人たちから「可愛い」「格好いい」と言われ続ける人生ってどんな感じなんだろう〜とつい想像してしまったりすることがあるのだ。
また、こんなことも経験した。
採用面接官のお手伝いでとある企業の採用業務に従事していたときのこと。最終面接の1つ前の面接で、えっさんが1対1で面接した応募者の合否の決め方が酷かったのだ。
その応募者(女性)を企業の採用基準に照らした時に、明らかに基準に達しないので「不合格」とし、理由も面接時の言動から選考報告書に詳細に書いて申し送りをしたところ、その応募者宛にその企業の人事担当者が「合格」と最終選考に進む連絡をしていたのだ。
「あれ?不合格にしたと記憶しているんですが」と伝えたところ、人事担当者からの返事を要約すると「履歴書の写真をみた営業部長(男性)から見た目がタイプなので通すようにと強く言われたので、合格にしました」とのことだった。
・・・えっさん空いた口が塞がらず。
そんな採用をしていることが今働いている社員やこれから入ってくる人に知られたらとても失礼だと思うのだが、容姿採用が現実に行われている企業もあるのだと知った。
えっさんは即座に抗議をしたところオーナー社長からの指示で、業務から外れることになったのだ。聞いたところによると容姿採用をしているのは部長だけではなく、オーナー社長の意向のようだった。
「あー確かに、自分が気に入った女性社員にだけ特別なお土産を買ってくる社長だった」ので、採用の自由はあるにせよ不条理な世界だなぁと実に悲しい思いをしたのだった。
翻ってルッキズムというのは、人々の意識の問題でもあり結構、根が深い。
もちろん見た目で得する人というのは現実にたくさんいるのだが、それは逆に損をし大きな傷を負う人もたくさんいるということも同時に意味する。
・ルッキズムで傷ついた人の心的影響の大きさ
前述の「家畜」とあだ名をつけられいじめられた過去があるアイドルの方の記事を読んでも、今の彼女がルッキズムによるいじめの傷から回復しているのであればそれは本当に良かったと思うのだが、見た目が評価される世界を彼女のBefore/Afterを通じて写し出しているような印象も受けた。
一時期、百田尚樹さんの小説をまとめて読んでいたのだが、その中に「モンスター」という小説があった。
この小説がルッキズムを考える上でも結構、衝撃的でたまに内容を思い出すことがある。
その小説の世界観を思い出してしまう小説というのはえっさんの中では珍しいので、それだけ印象深いということだろう。
あらすじとしては、子どもの時から畸形的な容姿をした女性が、バケモノ扱いをされて青春時代を過ごし、とある事件をきっかけに整形手術を繰り返し、誰もが認める美人となる。彼女は、子どものときに唯一自分のことを容姿関係なく優しくしてくれた子との思い出をずっと胸に大切に秘めており、大人になったその男性のために自分の命とエネルギーの全てをかけるという内容。
ストーリーの中で、容姿が原因で子どものときから残酷すぎる世界を過ごす中で、彼女の心がとても深く傷つけられていく様子が読んでいてとても辛くなる。整形を繰り返す彼女は、身体がどれだけ痛くとも心の傷に比べたら普通の人が耐えられない痛みにも耐えられてしまう。そして、美しくなってもなお容姿に固執した人間関係しか歩めない彼女の生き方にとても苦しくなった。
この話は小説だが、もう20年近く前にTV番組でも「ビューティーコロシアム」という容姿を変えるという番組があったことを思い出したのだが、あの番組を観て一番印象に残っているのは容姿が変わる前にどんだけ酷い仕打ちをされたのかという個人のストーリーだ。
本当に、こんなことが現実にあるのかというくらい酷いあだ名やいじめを受けている人が登場していた。
そのストーリーからは少しでも太っていることが気になって拒食症になって苦しんでいたり、自尊心がとても低い状態が続いたりして苦しんできたことが伝わり、人を心身ともに壊していくのがルッキズムの行き着く先なのだなと感じた。
・ルッキズムなき世界とは?
ここまでブログを書いていると、本当にどれだけの人たちがルッキズムにより苦しんでいるんだろうと気持ちが重くなる。それだけ、深刻な病理なのかもしれない。
もう6年くらい前になるが、友人とBunkamuraに「私が、カルメン」というフラメンコ舞踊を観に行ったことがあるのだが、そこでのメッセージがとても素敵だったので、良い意味でこちらも思い出すことがある。
舞台では「この身体、このお腹、そして、この小じわが愛おしい。たくさん笑って、たくさん泣いた、その証し」と、ベレン・レジェスの詩に乗せて踊るシーンがあるのだが、このメッセージと共に快活に明るく踊る姿にはとっても元気をもらった!!底抜けに明るいのだ。
えっさんも「別にお腹が出てもいいじゃ〜ん」って思っているタイプだ。出産したり加齢だったりで容姿が元に戻らないからといって「自分に自信をなくす必要なんてどこにもないじゃん」「加齢って素敵じゃん」って思うのだが、周りの人には「いや〜太っちゃいました」なんてつい言ってしまったりして反省する。
でも、もし世界からルッキズムがなくなったら、子どもたちはもちろん年齢を重ねてからも生涯において周りの見た目の評価を気にせずに生きていくことができるのだ。
子どものときから自分のありのままを肯定でき、自然に年齢を重ね、それを愛おしいと思える。
そんな世界では、人の関心は自分の内面に向くだろう。なので、外見を磨くよりも内面を磨くことを重視するようになると思われるので、自ずと誰かを故意に傷つけるような人は淘汰されるようになるのではないだろうか。
子どもにとっては、小さいときからありのままの自分を愛することが当たり前の環境って想像するだけで平和な世界だ。
そういう世界で子どもたちには生きて欲しいと願うのであれば、まずは自分の意識を変えていくことから世界の変化ははじまるのかもしれない!
ルッキズムにより被害を受けた人の心身のダメージは筆舌し難いほどに深刻なものだ。いずれ歳を取れば自分自身もその標的にされるかもしれないし、子どもだっていつ被害に合うかも分からない。そんな世界って本当に悲しい。逆にルッキズムがない世界を想像すると勇気と元気が自然と出てくるような明るい世界のように思えてならない!そんな世界を子どもに生きて欲しいと願うならば、まずは自分自身がありのままの自分の姿を肯定し、愛するところから世界の変化ははじまるのかもしれないな。